2010年08月01日

のんびりとした日曜の午後のひと時。
リビングのソファーで愛娘をあやしながら、新聞のテレビ欄でタイトルが気になっていたドキュメンタリー番組にチャンネルを合わせました。

画面には、赤いとんがり帽子の屋根を持つ、積み木を重ねたような建物のこども病院が映りました。きっと小児科医なら1度は目にした事のある建物です。
主役はどうやら、NICU(新生児集中治療室)の若い女医さんと、彼女が受け持った1人の女の子。
この赤ちゃんは、母体内にいる頃から、胎内診断で心臓に病気があると分かっていたそうですが、生まれてみたら腎機能も悪かった。心臓手術をすることはできても、腎臓は手の打ちようがないから、もって1〜2週間かもしれない、と、生まれてすぐに宣告されてしまいました。あの病院のことですから、「腹膜透析」をやらないのではなく、やる適応がない、ということなんでしょう。

受け持った女医さんは、小児科医として2年の研修後、ということですから、後期研修3年目のお医者さんでしょうか。前期研修2年とあわせると、医者としては5年目ということか。
この手のドキュメンタリー番組にありがちで、患者さんを前に悩みもがいている姿が切り取られていきます。

最初は割と他人事だと客観的に眺めていたのですが、登場する医者の言葉のいくつかに、微妙に心を揺さぶられました。
かつてその現場にいて、同じようにぼろぼろになって、結局「自分の専門は違うのだから」とそこから逃げ出した身としては、身につまされる一言一言でした。

指導医が「(人の死に)慣れることは無いですね、慣れてはいけないと思います」と答えたあたりは、教科書通り、セオリー通りなのですが、件の女医さんが、当直中に亡くした子供を振り返り、「私が当直医でなければ、もう数時間は生きられたのかもしれない」と語った一言には、深く共感しました。
過去に「研修医の涙」で触れたことがありますが、おそらくは患者さんを亡くす医者は、誰しも思うことかもしれません。いつまでたっても、心のどこかで自信を持ちきれないようなもどかしさ。自分や医学の限界を思い知らされる無力感。当事者の心が分かる悲しさ。まぁ、決して慣れるはずがありません。

36時間勤務とかをしながらぼろぼろになっているこの女医さん、赤ちゃんから採血をしようとしたら、目の前でお母さんがビデオカメラを回しています。うわぁ、良くこの状況で採血できるなぁ、と思いながら見ていたのですが、案の定、お母さんが「痛いねぇ。かわいそうねぇ」と言いながらビデオをまわし、一方では血圧が低いからなのかあまり採血がうまくできず、ついに女医さんがプチ(ブチではありません)切れました。「私だって痛い事を好きでやっているわけじゃない。」
そりゃそうだろう、と思ったのですが、多分このお母さんは分かってないのです。「痛いねぇ。かわいそうねぇ」という一言は、医者が加害者、痛い事をされる患者さんは被害者、という構図を作り出していて、自分(母)は被害者の側にいるんだ、ということを。
子供は病気と戦っているんです。医者も一緒に戦っている。ならば親にも一緒に戦って欲しい、というのが医者のささやかな希望です。親が立ち会うのなら、「痛いねぇ。でも大切な検査だから頑張ろうねぇ」と言って欲しい。それはもちろん、医者のエゴに聞こえるのですが、でも同じ土俵にいて欲しい。傍観者でいないで欲しい。当事者になって欲しい。この女医さんがイラついたのは、多分これも小児科医なら、しばしば感じる親との「溝」なのでしょう。

やがてこの女医さんには、「お見合いサイト」で出会った婚約者がいることが判明します。しかもそこそこの遠距離恋愛。
なるほど、「お見合いサイト」ですか。僕が婚活したのと同じサイトですかねぇ。
お相手は化学系の研究者ですが、結婚することになり、一緒に住みたい、と考えたときに彼女は決断するわけです。「医者は今の時代、どこへ行っても仕事ができます。でも研究者は(ちゃんとした)研究所に勤めなくては仕事ができない。どこの研究所でも雇ってもらえるというわけではない。」 かくして1年間の研修で病院を離れ、夫と一緒に暮らし、その地方で小児科医を続ける決断をします。

婚約者である男性は、ある程度は彼女の仕事を理解しているのでしょうが、結局は「家庭を大切にして欲しい。子供も欲しい。」 つまりは仕事をセーブして欲しい、と、これも世の男性にありがちな(でも、ある意味ではとても理解できる)希望を口にします。
結婚した女医さんが仕事を全うすることの難しさが垣間見えるのですが、さすがにテレビはそこまでは追いきれなかったようですね。

そうしてこの春、彼女は病院を去り、もって1〜2週間といわれた赤ちゃんは、低空飛行ながらも墜落せずに頑張り、1歳の誕生日を迎えました。
その後、彼女たちがどうなったのか、テレビは伝えませんでしたが、きっとどちらも頑張り続けていると信じたいものです。

夢を持って医者になった。夢を持って小児科医になった。
生命を見限ることはできない。子供たちに笑って欲しい。
きっと彼女と同じ想いを持つ小児科医は少なくないでしょう。
夢ならいつか覚めるのかもしれないけれど、できれば覚めるのではなく現実になって欲しい。
優し過ぎたら届かないけれど、夢の実現に向かう自分はいつも優しくありたい。

ひざの上で僕を見て笑う愛娘を眺めながら、この瞬間にも頑張り続けているはずの仲間たちと子供たち、そしてそれぞれの家族のことを想いました。
どうか心の底から純粋に微笑むことのできる一瞬がありますように。
どうかあなたの夢がかないますように。
そしてもちろん、僕の目の前の幸せが続きますように。
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2009年09月30日

八ヶ岳に立つ野ウサギ

早いもので、もう9月も終わろうとしています。
そういえば、まだ結婚報告葉書送ってないなぁ、などと、いったいいつの話なんだか、我ながら呆れてしまいます。

8月一杯で14年半勤めた大学を退職して、9月から県北東部にある県立病院に勤め始めました。
医療崩壊の進む地域にあって、3年半前に2人いた小児科医が大学医局に引き上げられてから、他病院の小児科医が午前中の外来だけを細々と継続していた病院です。地域の小児科医は、開業医の先生が1人だけ。
常勤医がいない悲しさか、患者さんは次々と病院を離れて遠方の病院へ移ってしまい、常時7〜8人、ひどいときは午前中の外来患者さんが2人、なんていうこともあったようです。
常勤医が戻ってくれば、患者さんもすぐに戻ってくるよ、と誰もが言ってくれるのですが、さすがにこれは無いだろう、と若干焦ってしまいました。今は周辺の行政や市の広報、新聞の地方版などを使ってPRの毎日です。
けれどそれ以上に強力なのが、お母さんたちの口コミのようです。良い(?)アレルギー屋さんが来たらしい、と噂を聞きつけて訪れてくださる患者さんが少なからずいて、どうにか1ヶ月でコンスタントに15人レベルまで戻しました。患者さん、倍増(苦笑)。新型インフルエンザがピークを迎えれば、きっと3倍増(爆)。

良く大学が手放してくれましたね、というのは、挨拶をしたあちこちで言われたことでした。
春頃から「辞める〜」とのろしを上げていましたし、65歳まで働きたい(大学の定年は教授以外は60歳です)とボスに相談もしていましたから、医局としては諦めていたようです(あ、でも医局の人事権を握る医局長は、僕だった 笑)。
辞めた理由は何ですか? というのも、やはりあちこちで恐る恐る尋ねられた質問でした。
そのつど、65歳まで働きたかったから、とか、結婚を機に退職、とか、医局は未熟児新生児と神経(主にてんかん)に大きく舵を切ったからその他の専門医は不要になった、とか、月8回の当直+月1〜2回の緊急呼び出しに疲れた、とか、まぁ色々な理由を答えていたのですが、どれもが正解で、おそらくそれらが全て重なっての結果、というのが一番正しいのかもしれません。
どうしてこの病院なんですか? という質問もたまにありました。
開業の意思はなかったし、どうせ働くなら、小児科医がいなくて着任を心から望まれるところが良いかな、と思ったのですが、そう答えると誰もが必ず驚いたような呆れたような顔をしながら、でも大変ですよぉ、と言われる。
覚悟はしているんですけどね。そう苦笑いして答えるばかりです。

地域医療を担う、というほど大上段に構えているわけではないのですが、医療崩壊地域の子供たちの困窮振りは、隣の医療圏で見ていると手に取るように分かります。ほんのわずかだけれど、手助けになるのなら、医者冥利に尽きるってぇもんです。

都会で働くことも考えたのですけれど、都会では埋もれてしまうものが、田舎で暮らせば見えることがある。
引越ししたわけではありませんから、本当の意味で田舎で暮らすわけではありませんけれど、常駐すれば分かること、感じることは少なくありません。たとえば生活(くらし)について、たとえば病気について。家庭の経済事情は決して楽ではありませんし、病気になったとき、相談できるところも身近に少ない。ひとつひとつの生命の重さはどこに暮らしても差は無いはずなのですが、同じ県の中でもこれほどまでに差があるのか、と驚かされることは少なくありません。

自分にどれだけのことができるのか、それを考えると決して安穏としてはいられないのですが、「常勤の先生が来てくれて良かった」という患者さんやスタッフの笑顔を見ていると、もうひと頑張りできる勇気と誇りを持てる、そんな気がしています。

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2009年03月31日

Angel

NICU(新生児集中治療室)で大切に可愛がられて育っていた子が、今朝旅立ちました。

600g弱の未熟児で生まれた彼女は、最初の危険を乗り越えたところから、なんだかよく分からない病気に苦しめられ続けてきました。
抱えている2つの問題のうち1つは、すごく特殊なミルクアレルギーだろうと分かったのですが、もう1つの原因は最後まで分かりませんでした。
そうならないで欲しい、というみんなの願いも届かず、今朝方、大きく泣いたあと静かに心臓が止まり、どんな薬にも反応せず、どんな呼びかけにも反応せず、10ヶ月と1日の生涯を閉じました。体重の増えない子でしたが、最後に体重を量ったら1622gとはじめて1600gを超えていました。

天使の腕の中でここから高く飛び立つ。

時々NICUに長く居座る子がいます。
大抵は大きな問題を抱えているために、NICUから外に(一般の小児病棟に)移れないわけですが、そしてそれがNICU不足に拍車をかけると問題になるのですが、えてしてこうした長期入院の子供たちは、病棟スタッフのアイドルになります。
ママとパパの代わりに愛情を注ぎ、世話をし、まさに「育てる」わけですから、そこに生まれる感情はビジネスライクなものよりも、両親・家族に近いものになるのでしょう。
こうした天使ちゃんたちは、時にはママよりもスタッフになついていたりして、それはそれで切ないのですが、一方どんなに愛情を注いでも、ママが面会に来ると、それまでの不安定な状態がいきなり落ち着いたりするあたりは、これもまた切ない。

そうやって愛情を注いだ子が大きくなって、問題を乗り越え、無事に巣立って行くのなら何よりなのですが、時には頑張って頑張って、頑張りきれなかった子もいるわけです。
それが突然であればあるほど、愛情を注いだスタッフの喪失感は両親と同様とても大きいのですが、実はもっと切ないのは、その涙の中で隣の子に笑顔を向けなくてはならない一瞬があることかもしれません。
家族と同じ痛みを抱えながら、家族と同じ様には悲しんでいられない心は、悲しみの処理をできずによりどころを求めてさ迷うのでした。

昔「研修医の涙」という一文を書いたことがあります。自分の心を守るために、いつでも一歩ひいたところに立っているはずが、時には醒めた距離を置ききれずにのめりこんでしまう受け持ちの子供がいるのも事実で、今朝のようにそんな子を失うと心が折れます。

それでも、暗く冷たい部屋から、終わりの無い恐れから、苦しみから、天使の腕に抱かれて天使が飛び立って行くのだ、と思えれば、少しは心がやすまるのですが。

「なにするのよ〜」とキョロっと主治医をにらむ顔や、あやしたときに見せる一瞬の笑顔を胸に、さぁ、僕も帰ろうかな。

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2007年12月10日

長い夜

学会で名古屋に来ています。
最近の学会は、週末に行われることが増えて、今回も土・日が学会でした。気軽に出席できるから助かるんですが、週末つぶれる、と言えばつぶれるわけで、まじめに学会出席している限り、ちょっとだけ大変です。
そういえばマイミク様は、学会のスタッフとして駆り出されていらっしゃいましたが、週末つぶれてたわけですから、二重の意味で大変でしたね。お疲れ様でした。

金曜の夜、成田−セントレア(中部国際空港)で飛びました。
「マイルなのね〜」と言われましたが、そうです。新幹線じゃ、マイル付きません(爆)。
乗って、座席に座ってから気づいたのですが(遅)、国際線機材の767−300で、座席は Club ANA Asia でした。しかも電動の座席。最近の機材だとリクライニングが手動なんですけどね。ラッキーです。

成田の混雑に巻き込まれて、離陸が遅れ、着陸も遅れ、電車に乗り遅れること2回、ホテルに着いたのはかれこれ22時近かったのですが、部屋に荷物を置くなり飛び出しました。
目的は、栄の「麺屋ここいち」。
ラストオーダーの22:30丁度にお店に着いたら、本当はもう終わるところだったそうで、火を落としちゃったのに、でも快く受け入れてくれました。
その感謝もあいまって、なかなか美味しい「にらもやしカレーラーメン」でした。ふつーのココイチにはラーメンありませんから、皆様名古屋にお越しの際には、ぜひ。
お店がある場所は「麺屋横丁」とか言って、かなりレトロな作りになっているのですけど、雰囲気はちょうど、お台場デックスの「台場一丁目商店街」みたい。
腹ごなしに栄の街をぶらつきながら、歩いてホテルに戻りました。

昨夜は、学会の懇親会。
予想外の出席者数だったようで、懇親会開始と同時に、ほとんどの食べ物が売り切れました。え〜と、とりあえず、ひつまぶしと牛肉だけは確保しました。「ひつまぶし」を「ひまつぶし」と言ってた先輩がいましたが、ジョークだと思ったら、どうやら本気で勘違いしていたようです。
さすがは天然の先輩ですね。大好きです。

懇親会がお開きになる前に、諸先輩方と会場をあとにして、一路錦・栄の繁華街へ。
大先輩だの、某大学助教授(最近は準教授と言います)だの、先輩・後輩・外国からのお客様入り乱れて、大カラオケ大会。や、外国のお客様は、うるさかったのか(おいおい)中座されちゃいましたけど。
この「お流れ飲み会」主催者につかまると、大抵エンドレス飲み会です。すでに金曜の夜、某大学準教授は、同じお店でかなり夜遅くまで付き合わされたようです。
明けた朝一番にシンポジウムの座長をやらなくちゃいけない先輩は、諦めつつも「実はまだ発表内容の確認してないんだよね〜」と泣きが入っていましたが、「だいじょぶ、(発表中に)寝なきゃ何とかなる」という、まぁぁったく根拠のない反論に、それ以上何も言えないのでした。
同席された大先輩は、かつて松山千春の主治医をしていたこともあって、千春を歌わせたら天下一品なのですが、この夜は何歌ったんでしたっけ。「君を忘れない」は覚えていますが、あと一曲は、まるで我々の行く末を暗示する「長い夜」でした?(爆)

かくて、深夜にそのお店を出た後、「やっぱり飲んだら味噌煮込みうどんだよねぇ」の主催者発言に、一同お店を求めて、栄の街をうろうろ。
山本屋は、本店と総本家とあるそうで、どっちがどっちなのか良く分からないのですが、最初に入ったお店では、味噌煮込みうどん1杯約3000円。一同絶句して、さらにうろうろ、もう1つ別のお店に落ち着きました。こちらだと2000円弱。おかわり自由のおしんこがついてましたから、「山本屋本店」?

おしんこ食べながら四方山話に花を咲かせていたら、件の某大学準教授が僕の高校の先輩という事実が判明しました。
神奈川県の高校で、修学旅行が京都・奈良という学校が3校あるのですが、そのうちの1校なんですね。
数年前に胃がんに倒れた有名な小児アレルギー屋さんも先輩にいて、う〜ん、なんとなくやっぱり僕らの業界は狭い気がします。

結局ホテルにたどり着いたのは2時近かったんでしょうか?
朝じゃなくて良かった(笑)。
すぐ目の前にあるホテルからもれる無線LANにタダ乗りして(笑)、メールチェックしているうちに爆睡していました。

今日2日目(全日程)が終了。
多くの方は、午後からてきとーにお帰りになっていましたが、最後のシンポジウムに顔をだして、学会終了までちゃんと出席。
ホテルを金山駅前の全日空ホテルに移して、夕食は「あつた蓬莱軒 本店」でひつまぶし…
明日朝一番の飛行機で成田へ飛びます。

学会に出席すると、いつも「あぁ、もっと勉強しなくちゃ。もっと研究しなくちゃ」と、かなりまじめにモチベーションがあがるのですが、問題はそれを持続できないことです。
書かなくちゃいけない論文を抱えているのに、時間だけが過ぎて、気づくと少しデータにカビが生え始めていたりして。
しかも今回は大先輩から「来年の学会評議委員に立候補しなさい」と言われ、これもまた焦っています。充分な業績のないわが身を振り返るとかなりのプレッシャーで、とりあえず業績作りしなくちゃなぁ、と頭を抱えているのでした。

功なし名を遂げたい野望(笑)がないわけじゃありませんが、目の前の仕事を片付けるのに手一杯で、せいぜい一部の患者さんの信頼を獲得するまで。自分のプライベートな人生を謳歌しようとすると、利害は相反するわけでして、さて、自分はいったいこの先どうしたいのか。こうして書きながら悩んでいるうちに、今夜も夜が更けていくのでした。


(追記)
本文中でご紹介した、サンシャイン栄 2階にあった「麺屋横丁」は、2008年2月に閉店したそうです。
「麺屋ここいち」は別の場所に移転しています。

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2006年10月29日

世界の最先端医療

今週号の「ニューズウィーク Newsweek」の特集は、「世界の最先端医療」でした。
仕事帰りのコンビニで見つけて、思わず手にとってしまいました。
「癌、糖尿病、不妊症… 日本人が知らない夢の治療法ベスト20」とサブタイトルが付いています。なかなか刺激的です(笑)。

ざぁっとそのベスト20をあげると、

1.手術支援ロボット(Da Vinci Surgical System)
2.近視治療(Phakic IOL)
3.歯科治療(HealOzone)
4.婦人科疾患手術(MR-Guided Focused Ultrasound Surgery)
5.糖尿病治療(Exubera)
6.胎児治療(Fetoscopic Laser Photocoagulation)
7.鬱病治療(VNS Therapy System)
8.糖尿病検査(FreeStyle Flash)
9.禁煙治療薬(Varenicline)
10.脊椎疾患治療(InFUSE Bone Graft)
11.小児科疾患予防(Hib Vaccine)
12.子宮頚癌予防(Gardasil)
13.緩和ケア(Synchromed)
14.腎臓癌治療(Nexavar)
15.ぜんそく治療(Asmanex)
16.花粉症治療(舌下減感作療法:Sublingual Immunotherapy)
17.カプセル内視鏡(PillCam SB)
18.人工心臓(Jarvik 2000 FlowMaker)
19.心不全、不整脈治療(Wireless Monitoring CRT-D)
20.大腸癌治療(Avastin)

まぁ、色々なジャンルでまとめられています。
それぞれ専門領域の先生は、知ってる、知らない、あ、これ効くんだよね、え〜これ良いか? など様々なご意見があることでしょう。
僕も専門のアレルギー領域では、あぁ、某社がFDA認可とったよねぇ、とか、コクラン・リポートで有用性は評価されたけど、最先端は他にもDNAワクチンとかあるよねぇ、とか、まぁ色々考えるわけです。
その他僕は専門外ながら、これは日本でも実際には行われている、とか、これはあまり評価が高くない、と知っているものも含まれています。

ただ、若干バイアスがかかった記事だとは思うのですが、これら「最先端」と呼ばれる治療方法や薬剤が、なぜ日本では流通しないのか、という理由の一端は、この記事から垣間見えると思います。
厚労省にもメーカーにも医者にも言い分はあるのですが、確かに日本は若干「医療鎖国」のようなところがあります。規制とグローバル化とのはざまに取り残されているような。

「ヒトに与えられるのであるから、副作用や効果の判定は慎重でなければならない」と言えばもっともらしく聞こえるわけですが、それは単に処理の先送りの言い訳に過ぎないところもありそうです。
英語がダメぇ、というのもグローバル化(各国共同研究)の妨げになるのでしょうか?

もう1つは、最先端の医療を行うときに、必ず「健康保険」の壁が立ちはだかるんですね。アメリカの最先端医療はすごいですが、その分医療費もすごいです。わが国ではこれを健康保険でまかなうことはできません。でも自由診療を選べば、個人でかけている医療保険も給付対象外になることが多く、多くの人には手が届かない。
悪しき平等主義を掲げるわが国では、一部の人のみが受けられる医療サービス、というものに対して、まだまだ抵抗があります。
とすれば、この医療をサービスとして提供するのはとても難しくなります。

できれば記事には、このあたりにまで踏み込んで欲しかったかな、と思います。

日本でこれら最先端の医療が普通に行われるようになるには、どのくらいの時間待てば良いのでしょうね。

なお、いくつかの薬剤や機器は、例えば先日ご紹介した薬局から入手可能です。
ただし、利用には個人責任が発生しますし、主治医の先生との相談も不可欠なのは当然のお約束ですよ。
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2005年11月12日

子供が中心?

たまたま調べ物をしていたら、時々拝見している同業者のブログに、ちょっと気になるコメントを見つけました。

小児科医にとって、対象は常に子供が第一にありますから、ご両親はいつでも「○○ちゃんのお父さん、お母さん」です。何かよっぽどの理由が無い限り、ご両親の first name を呼ぶことはありません。
これは恐らく、子供が中心の世界にいれば、医療者以外でも同様だと思います。
保育園や幼稚園の保母さんも、子供のお友達のお母さんも、「○○ちゃんのお母さん」と呼ぶことはあっても、そのお母さんを「みさこさん」と名前で呼ぶことは多分無い。

これを「非常に侮蔑的な言葉」と感じられる方もいらっしゃれば、「『○○ちゃんのお母さん』と呼ばれることのない現在、あのころの幸福感が夢のよう」だと感じられる方もいらっしゃる。
立場が変われば感じ方も変わるのでしょうが、普段何も考えずに「○○ちゃんのお母さん」と呼んでいるものとしては、これを「侮蔑的」だと感じる方の真意をはかりかねています。

女性は、子供ができて、自分のことを名前ではなく「お母さん」と呼ばれることに、抵抗を感じるものなんでしょうか。
少なくともご主人が、夫婦2人きりの時にも「お母さん」と呼んだら悲しい気もしますが、世間に対するアイデンティティは「お母さん」にある気がする。

もっともこれは「○○さんの奥さん」と呼ばれてしまうことと、根っこは同一なのであって、女性のアイデンティティは、もしかすると常に相対的なものであって、first name による絶対的なものではないのかもしれない。
このあたりが「侮蔑的」だと感じられる背景なのでしょうか?

それでも多分、僕らは「○○ちゃんのお母さん」としか呼べないように思うんですが。

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2005年09月05日

緊急着陸

友人のつるるんが経験した緊急着陸の話が、mixi の日記にありました。
読んでいて、僕も緊急着陸の話、書いてみたくなりました。

や、当事者なんです。緊急着陸「させた」。

深夜便だったので、アイマスクして、口にもマスクして(機内、乾燥してるもんね)、ついでに耳栓もして爆睡状態。
誰かが肩をトントンと叩くので目が覚めました。
「あ、もう着陸準備なの?」と思いながらアイマスクを外したら、真っ暗な機内。瞬間にや〜な気がしたんですよ。悟ったのね。

「GO様、機内でお客様が倒れました」…目の前には、以前もご一緒した美人のアテンダントさん。やっぱりかぁ。

後をついていくと、トイレの前に若い女性が倒れてる。
どうしたのか状況を聞くと、どうもトイレから出たところで倒れたらしい。
息は? あ、してる。脈は? あ、触れる。良かった。とりあえず生きてる(苦笑)。
呼びかけても何の反応もないし、つねっても痛みへの反応がない。ありゃ、意識レベルおちてるのかなぁ。

すると目の前の座席に座っているアメリカ人が、「頭打ったんだ。かなり強く。」とかおっしゃる。
見たの? 「いや、すごい音がして目が覚めたから、きっと頭打ったんだと思う。」
なんだよ、見たんじゃないのかさ。

ともかくまずはバイタル(血圧とか心拍数とか呼吸数とかの、まぁ基本的な患者状況)チェック、と思ったものの、さすがにアテンダントさんは看護師さんとは違うので、バイタルチェックなんてできない。
自分で血圧計巻いて、自分でバイタルチェック。
よく見たら、顔が少し痙攣してませんか? おいおい…

心配そうにのぞきこむチーフパーサーに聞いてみる。
今、どこですか?
「沖縄の上空ですね」
あ、じゃ、福岡に降りましょうか。
「この時間はまだ、福岡開いてません(つまり営業時間外、と)」
え〜、じゃどこが一番近いんですか?
「今だと関空ですね」
関空までどのくらい?
「1時間です」
成田だったら?
「2時間ですね」

うぅ、この1時間の差は、かなりのプレッシャーだなぁ。
目の前の女性は、相変わらずピクリとも動かないし、呼吸と心拍は保たれているものの、何が起きたか分からない状況で、あと2時間ですか?? 不安だ…
半分頭が真っ白になりながら、関空への緊急着陸をお願いしました。

気づいたら、目の前に2つのジュラルミンケースが置かれていて、それぞれ蓋が開いている。
見てみると、まぁ各種薬品から点滴ルートその他、内容は充実したドクターキットなんですね。
それをのぞいて、ともかく静脈ルートの確保、と点滴を決めました。

何が原因で倒れているのか分からないし、英語のできない彼女の友人からは充分な情報が取れないし、何となく痙攣がイヤだし、何かあったら薬をすぐに投与できるように、静脈ルートは必要だよね、とそこまでは良かった。

点滴しましょう。と言ってみたものの、やはりアテンダントさん達は身動きできないので、自分で点滴セットを作って、手に点滴の針を刺す。機体が微妙に振動するものだから、これがまた緊張するんだ。周囲の注目の元、もし点滴の針入れ損なったらやだなぁ、とか余計なことを一瞬考えるんですよ。
ちなみに小児科で使い慣れている太さの針は、さすがに無いの。もし子供に点滴が必要になったらどうするんだい?

幸いにも何とか一発で点滴針が入って、ほっとした瞬間に、チーフパーサーが言う。
「これで成田まで行けますか?」うぅぅっ… プレッシャーだぁ。

機長さんは「ともかく人命優先」と僕の判断を支持してくださって、かくして関空への緊急着陸が決まりました。
倒れている女性を、アテンダントさん達と簡易担架でファーストクラスに運んで、座席をフルフラットにして寝かして、隣の席に僕が座る頃、機内にはドラマで見た(聞いた?)アナウンスが流れました。
「機内で急病のお客様がいらっしゃいますので、当機はこれより関西国際空港に緊急着陸をいたします。お客様にはお急ぎの中…」

そうだよねぇ。みんなきっと急いでいるのにね。ごめんね。

関空に緊急着陸したら、まず検疫の職員とドクターが乗り込んできました。
検疫上は問題ないと思う、と話したら、次は右側のドアからドヤドヤと救急隊員が乗り込んできました。泉州救命センターのドクターも。
全て申し送りをして、患者さんを見送った後、飛行機は再び成田へ。機内では状況報告書を作成して、使用した薬品の報告書を作成して、ちょうど1時間遅れで成田に着きました。

後日、懇意の旅行代理店にその話をしたら、オーナーご夫妻のお母様が搭乗されていたそうで、「あ、なんだか関空に緊急着陸して1時間遅れたって言ってたけど、あれってGOさんのせいなのね?」
…はい、ぼくのせいです。

患者さんは大事に至らなかったそうです。
航空会社からはのちに、お礼状とともに「ごっつぉ〜便」のカタログが送られてきました(笑)。

これをきっかけに、小児の救急対応の講習(アメリカの資格でPALSと言います。大人だとACLS)受けました。
これでもう、何があっても大丈夫? いえいえ、飛行機は無事に着くのが一番…


posted by GO at 00:09 | 千葉 🌁 | Comment(1) | TrackBack(0) | 医療

2005年08月27日

当世研修医事情?

決して優秀ではなかった、とか謙遜のように取れる書き方は正しくなくて、むしろ見事な劣等生であった研修医時代。
それでも曲がりなりにも今、何とか医者として働いていられるのは、諦めずに見捨てずに指導をして下った何人かの恩師のお陰だと深く感謝しているんです、本当に。

今の職場に移って、気づいたら10年が経過しているんですが、2年前の新研修医制度開始よりも何年か前から、ウチの病院はスーパーローテート(2年かけて病院内の全科で研修を受ける)で研修医君が回ってくるようになりました。
そうしてようやく(つまりそれ以前には1人も研修医の入局がなかったのね、ウチの職場は…涙)研修医の教育、というものに少したずさわるようになったわけですが、こうなってやっと気づくわが身の至らなさ。自分の何が悪かったのかを、研修医君たちを通してようやく理解したわけです。「わが子を育てて知る親の恩」状態ですね。
研修医君たちを見てイライラする部分は、かつての自分そのものなわけで、それじゃ彼らを叱り飛ばす資格なんて自分にはないじゃないか、と自信をなくすわけです(って、自信、あったの?)。
まぁ、「謙虚であること」と「いつまでも自信を持てないこと」というのは、似て非なるものなんですけどね。僕はどっちなんだろう。

別段、自分たちの過ごした時代が正しいとも、自分たちが受けた研修が正しいとも主張するつもりはないのですが、研修医君たちに接してみると、何か違う、と違和感を感じ続けているのは事実です。もしかしたら、研修を受ける職場の違い(というのは、国立か私立かの違いにつながるんだろうか?)が、ひっそりと影を落としているのかもしれませんが。

用事があって研修医室を訪れたら、医学書以外の本(決してそれが漫画だなどと事実は書けない)を一生懸命に読んでいる研修医がいたり、インターネットで医学論文以外の検索(決してそれが2chだなどと事実は書けない)をしている研修医がいたり、思わずめまいがしたもんです。
君たちは、病棟にも外来にも行かずに、でも勉強をしているわけでもなく、部屋にこもって何してるんだ?? 勉強すべき時期にそれをしないで、それじゃいつ勉強するんだろうか。あ、勉強しなくても大丈夫なくらい、知識も経験もあるのか。

しかし翻って考えるには、これは明らかにそれを許す教育者側にも問題があるわけです。いや、本当は許しているんじゃなくて、諦めているのかもしれないけど。
古い(と自分で書くと悲しくなるけれど)世代の僕には、研修医は自ら進んで勉強するものだ、という「研修医なりの常識」があるのだけれど、どうも今の研修医君たちは、親鳥がえさを運んできてくれるのを口を開けて待っているように見えます。
であるとするならば、えさを運んであげるか、えさのとり方を教えてあげるか、親鳥はいずれかをしなくては雛は死んでしまうわけですね。漫然とそばに寄り添っているだけではダメなわけだ。

さて、えさを運ぶのと、えさのとり方を教えるのと、どちらが楽かといえば、これはもぉ自明の理です。かくして親鳥はえさを与えるばかりだから、雛はいつまでたっても自立をしない。
そしてある時突然、次の雛が生まれたからと巣箱から放り出しては、放り出された雛はどうなるんでしょうね。
結局3年目になって、自分の医局に所属するようになって、「これじゃマズイじゃん」とばかりに教育を始めるわけですが、学生時代から延長してえさを与えられることに慣れている雛を自立させるのは、気絶するほど大変な作業に思えますね。

これは何も研修医君に限ったことではなくて、最近の新社会人に共通なんでしょうか?
「自分で考える」ことを放棄している、最近の日本人全てに共通なんでしょうか?
責任感を持たせるには、責任ある立場に置けば良いのでしょうか?
しかし、自分が責任ある立場にある、と自覚していない人にはどうしたら良いのでしょうか?

それでも追い詰めてみたら、未熟ながらも少しはがんばり始めた研修医君を受け持って、少しほっとしているのでした。
彼がこの雑文を読んで、何かを感じてくれたら嬉しいと思っています。
でもこんなところ読んでるヒマがあったら、勉強しなさいね。

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2005年07月04日

研修医の涙

昔々、あるところに書いた記事です。
もう消えてしまった記事なんですが、なんとなく気になっているので、こちらに転載してみます。



NICUに敗血症で入院した、日齢2の赤ちゃんが亡くなった。

少しずつ動きを止めていく心臓をモニターで眺めるたびにいつも、「もしここにいるのが自分でなければ、この子は助かるのだろうか。もしかしたら世界中のどこかに、この子を助けられる治療法があるのだろうか」と考える。そんな人も、治療法も無いのは分かっているけれど、無力感にさいなまされながら、そんなことを考える。

10ヶ月を幸せと少しの不安の中で過ごし、誕生という最大の幸せを味わったわずか後に訪れる地獄。両親の想いは想像するに余りある。

昔、作家の三浦綾子さんと、生まれてすぐに消える命について話したことがある。

「生きている」そのことに意味があるのなら、わずかな時間しか生きないその生命には、どんな意味があるのだろうか。
彼女はきっぱりとこう言った。「きっと神様が、この夫婦になら、この子を託すことができる。そうお考えになったから、この子が生を受けたんでしょう。」

…意味の無い命はない。それは一瞬でも命にたずさわる人間にとって、忘れてはならない基本なのかもしれない。

目を真っ赤にして青ざめた顔で立つ、ローテーションで回ってきた研修医を別室に呼んだら、彼は部屋に入るなり泣き崩れた。
その嗚咽を聞きながら、遠い昔の自分や同僚を思い出した。

あの頃僕らは、朝の8時半から夜11時半まで、ほとんど1日を病棟で過ごした。
血液疾患で入院している子供たちは、白血病の再発や重症の免疫不全など、消えかかる命を抱えながらそれでも笑顔で生きていた。
1日を病棟で過ごす僕らは、そんな彼らと多くの時間を過ごした。

そうして、研修医としてはじめての試練がやってきた。
大好きだった子供が、確かに少し前までは笑っていた子供が、その生涯を終えた。

主治医から死亡が宣告されたとき、1人の同僚が部屋を飛び出した。
病棟から階段を駆け下り、誰もいないフロアのトイレで、彼女は1時間泣いた。
僕はその外で、静かに涙を流しながら、彼女の嗚咽を聞いていた。

あれからいくつもの死に立会い、忘れられない死も沢山経験した。
いまでも時には涙を流すものの、嗚咽するほどの痛みは感じないように、少し冷めた自分がいる。
目の前の死はやりきれないけれど、受け持っている子供たちは他にもいる。
病気と闘っている子供たちへの責任は果たさなくてはならない。
いつまでも泣いてはいられない。もしも泣くほどの痛みを感じるのなら、次はその痛みを感じなくてもすむように、少しでも前に進まなくてはならない。
それが医者としての責任なのだ、と自分に言い聞かせている。

それでも子供の死に立ち会うと、必ず他の子供たちの顔を眺めに行くのは、やはり自分を奮い立たせる力を、子供たちから授かりたいからなのかもしれない。

研修医の嗚咽を聞いた夜、僕はいつものように小児病棟を訪れ、眠りこけている子供たちの顔を眺めて回った。
無邪気な寝顔を見て、少しだけ癒される思いがした。

もはや嗚咽することはないけれど、やりきれなさと無力感と静かな怒りを覚えるだけの心は、まだ残っているらしい。
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