2015年01月30日

涙そうそう

お手伝いに行った急病診療所で、次の患者さんを呼び込もうとして、電子カルテの画面に釘付けになりました。
息子の名前と全く同じ名前がそこにありました。読み仮名も同じ。
名字は一字違いで、でも字画は僕らと同じなので、字画で決めた名前なのでしょうか?
呼び込んでちゃんと対応ができるのかしばし逡巡した後、思い切って呼び込みマイクのボタンを押しました。
診察を終えてお父さんに、「息子の名前と同じですね〜 名前は字画を考えたんですか?」と話しかけてみました。
お父さんはとてもにこやかに、どなたかの名前を頂いたのだ、と教えて下さいました。良い名前ですよね、とお気に入りのようでした。
お父さんと患者さんが診察室を出るまで、何とか笑顔でいられました。でもやっぱり1人になったあと、切なくて胸が一杯になりました。

この前の1年は、喪失感の中にいました。悲しみを抱えながら、なんとか彼が存在した意味を見いだそうとあがいていました。
1歳の誕生日が過ぎ、この1年は、ちゃんと生を与えてあげられなかったことを、息子と妻に申し訳ない、と思うようになりました。自分のことばかりだった1年前から、相手のことを思える程度には冷静になれたようです。

娘は、相変わらずしばしば息子の名前を口にします。
きっと彼女も、心待ちにしていたんだなぁ、と感じます。
以前はそんな娘の言葉を聞くたびに心の中で泣いていたのですが、最近は少しだけ穏やかに聞き流せるようになりました。
名付けたときに願った通り、今でも家族の中で、一緒に生き続けている。それは願いであり、贖罪でもあるのですが、それではいつか許されたと思える日は来るのでしょうか。
外来で同い年の子供達を診るたび、あの子も今頃これくらいなんだなぁ、と思い続けることは、きっとこれからも続くのだろうと、それだけは確信しているのですが。

夕方息子のために花束を用意した花屋さんで、すっかり顔なじみの店主さんが、「子供なんてそのうち、花よりもオモチャが良い、とか言い出すんでしょうね」と笑っていました。
そうですね、年齢が上がればきっとそうなんでしょうが、申し訳ないことに僕は、花束以外の何を彼が欲しがるのか、分からないのです。
多分、これからもずっと。
posted by GO at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文
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