2014年01月30日

愛し君へ

学生時代、大学祭で三浦綾子さんに講演をして頂きました。
「今、生をみつめて」というタイトルは、僕が付けました。
「生きる」と言うことを中心に色々なお話がありましたが、その中に、空の上で生まれる順番待ちをしている子供たちの話がありました。
どんな家に生まれ、どんな人生を送るのか、子供達が話しています。1人の子供が、生まれてすぐに死んじゃうんだ、と言うのを聞いた他の子達は、つまらない人生だねぇ、と冷笑を浴びせます。けれどその子供は、そのわずかな人生に意味があるんだ、と言って生まれていくのでした。

わずかな人生に意味がある。
若かった自分には分かりきれなかったその言葉を、この1年かみしめて暮らしました。
後悔と申し訳なさと寂しさと悲しみと。たまらない喪失感でした。
いつまでも一緒に、胸の中で生き続けるから、と付けた名前は、漢字が示すその意味と、何より音の響きが好きで、我ながら良い名前を付けたと自画自賛しています。
その名付け親の期待通り家族の中に生き続けている彼は、しばしば娘のおしゃべりに登場します。曰く、彼が笑った。曰く、彼と一緒に遊んだ。それは両親と同様、弟を心待ちにしていた娘の、願望の表れなのかもしれません。あるいは小さな子の持つ不思議な能力で、本当に彼が笑っているのが見えるのかもしれません。
娘のおしゃべりに笑って相づちを打ちながら、胸の中で静かに涙を流す、そんな繰り返しです。

職業柄日常的に子供達に接しますから、中には帝切予定日に生まれた子供なんていうのに出会うこともあります。うちの子も生まれていたらこんななんだろうな、と一瞬でも思うと、とても落ち込みます。顔で笑って心で泣いて、というのはこういうことなんだな、と思い知らされました。

愛し君よ 愛し君よ
何処にいるの
今すぐ逢いに来て欲しい
例えばそれが幻でも
いいから

病棟の薄暗い処置室で、息子を抱き上げた時のことを、よく思い出します。
そっと抱き上げて、会いたかったよ、と声をかけて、頬とおでこにキスをした。その時の息子の顔を思い出します。
彼の笑顔を見たいなぁ、と胸が熱くなることがあります。
よちよちと歩く後ろを娘が追いかける。そんな光景が目に浮かぶことがあります。
幻でもいいから逢いたい。それは大切な人をなくした人なら、きっと誰もが一度は思うことでしょう。

そんな経験をした。
慟哭、という言葉の意味を実感した。
それはとても悲しいことでしたが、ただ1つ、小児科医として、子供を亡くした親の気持ちを知った。その経験は、彼が僕にくれた大切な贈り物の1つであることは間違いがありません。
わずかな人生であっても、周りの人たちに何かを残していくのなら、確かにそれは意味のある人生なのです。

息子の1歳の誕生日に。
沢山の愛とともに。
深い感謝をこめて。
でも、やっぱり逢いたいなぁ。
posted by GO at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文
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