2008年12月23日

ホームにて

夕方の東京駅を訪れると、東海道線のオレンジと緑の列車の向こうに、青い寝台列車が止まっているのを、よく目にしました。
最長は東京から1日かけて走って、西鹿児島まで。大分周り・熊本周りの両側がありましたよね。
空色の汽車にあわせてブルートレインと呼ばれていましたが、確か語源は、ワゴン・リ社が走らせていた「ル・トラン・ブルー」という夜行列車から来ていたような記憶もあります。

飛行機や新幹線の発達で乗客数が減り、運転区間を短くしたり減便したりが続き、1つ、また1つと廃止されてきました。
来春のダイヤ改正では、「はやぶさ」と「富士」が廃止されて、これで東京駅から出るブルートレインはなくなるそうです。
そういえば、西に下る寝台列車に乗ったことはありませんでした。
急行「銀河」も、確か乗らなかったなぁ。

先日知人からメールが届いたときに知ったのですが、「出雲」も廃止されていたんですね。
大学に入ってまもなくのお正月、自宅でくつろいでいたら高校からの友人から電話がありました。「今日の出雲で帰るから、それまで会えない?」
当時彼女は島根の大学に入学していましたが、せっかくの帰省だと言うのにご両親と喧嘩して、1月1日に島根へ戻ると言う。
小田原の駅前はほとんどのお店が正月休みで、かろうじて見つけた喫茶店にもぐりこみ、出発までの時間を過ごしました。
駅のホームに滑り込んできた「出雲」に乗り込む彼女を見送ったら、「元気でね」と手を差し出された。あの時の握手の感触、今でも覚えています。

北に向かう寝台列車は、「ゆうづる」が最初でした。
おそらく、夜行寝台の初体験。
これが最後のチャンスかなぁ、と漠然と思いながら、受験で北海道に渡るときのことでした。
麦ちゃん(を知っている人はもう少ないのでしょうか)と同じく、寝台特急のゆうづる+青函連絡船で北海道に渡り、帰りは飛行機で「ゆうづる 舞う。縁起がいいじゃん」とげんを担いだのでした。そのおかげでその地を青春の住処とできたのですから、思い入れのある列車なのですが、残念ながらその後乗ることはありませんでした。
そういえばあの時の津軽海峡はとても時化ていて、緊張と疲れと揺れとで、青函連絡船の中で船酔いに苦しんだのも懐かしい思い出。

そうして住んだ北の大地から故郷へ戻る帰省は、いつも列車でした。
函館まで6時間だか8時間だかかけて出て、津軽海峡を青函連絡船で渡り、青森から急行「八甲田」。急行「津軽」というのもありましたね。
旭川を朝7時に出て、上野到着が翌朝7時。24時間かかりました。

大学の後半には、スカイメイトを使って飛行機で行き来したこともありました。
飛行機は確かに早くて便利なのですが、でも実は時間をかけて帰る、という作業は、帰省にはとても重要なのではないか、と思います。
故郷に帰る、という重さを実感するには、それなりの時間が必要なのでしょう。

恐らく自分を待っているであろう家族の顔を思い浮かべて、きっと集まるはずの懐かしい友人たちの顔を思い浮かべて、窓ガラスの向こうの暗闇に浮かぶ自分の顔を眺める。
単調に続くレールの継ぎ目の音を聞きながら、自分が向かう街まで、確かにレールが続いているんだなぁ、という不思議を感じました。
お国言葉の入り混じる車内。あるいは故郷への帰りびとではなく、故郷を離れる人たちなのかもしれません。お互いの事情なんてうかがい知ることもできませんが、向き合いの座席に座り、一言二言ことばをかわして、つかの間の時間を共有する、というのは、さざめきたつ自分の心を静めるのに必要でした。

廃れ行く寝台列車への想いは、飛行機ばかりを使う今となっては郷愁に過ぎないのかもしれませんが、いつも心の奥にしまわれている、とても大切な時間と思い出をもらったことへの感謝でもあるのかもしれません。


posted by GO at 15:46 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文

2008年12月09日

永遠にともに

少し寒いものの、穏やかに澄み渡った空。
晴れて良かったなぁ、と思うのは、まったくのエゴだとは分かっていますが、それでも雨よりは晴れの方が良いでしょう。
当直明け、急いで家に帰って支度をして、電車に飛び乗りました。
車内にも暖かな陽射しが差し込むのですが、気温だけは結構低かったようです。

目的のホテルは、研究会では何度となく訪れているのですが、もちろん泊まったことはないし、ここでは初体験なので、ある意味楽しみにしていました。
そうですね、予想以上に良かったなぁ、というのが感想でした。
過剰な演出はないし、司会者も、良くいる泣かせようモードの過剰絶叫型とは対極の穏やかなかただったし、食事も美味しかったし。
気になったのは、出席者はほとんどが職場関係者と親戚関係で、友人たちが極々少数だったことですが。確かに職場つながりですが、いいのか、それで?

と、ここまで書けば分かりますね。
この日曜日は、後輩君の結婚式でした。六本木のグランドハイアット。
そういえば、システム室関係の結婚式には出てますが、医者の結婚式は久しぶりでした。え〜と、つまり、僕のまわりは、あらかた結婚しちゃった、ということですか?(苦笑)

ウチの小児科に今年入局した期待の新人君が、研修医時代に知り合った看護師さんと華燭の典をあげました。
まぁ、ある意味職場結婚ですから、主賓も来賓も上司たちですし、総勢約90人の出席者の2/3は職場関係者でしたね。残りがいとこやおじ・おばの親戚関係で、友人は新郎・新婦合わせてほんの数人。
仕方がないのかなぁ、とは思うのですが、何となく不思議でした。

最近の結婚式では仲人を立てないのも当たり前になっているんですね。
ウチのボスは、前回の医局員結婚式の際に仲人を頼まれ、「きっともうすぐ、また使うから」とモーニングを新調しました。はい、何かの折に繰り返し、「いつになったら使えるんだろうね〜〜」といじめられるのですが、お仲人お願いしなかったら、やっぱり使えないわけか、と、今回の後輩君の結婚式を見て気付きました。
あ、つまり、仲人をするんだ、という意思表示だったんですか?>ボス
だったら、誰か良い人、紹介してくれたって良かったじゃん。

さて、その過剰演出はなく、ちょっと素敵だな、と思わせる結婚式ですが、独身者はなぜか、「高いのかなぁ」とか、「きっちり2時間半で終わるのね〜」とか、「引き出物はどう決めたんだ?」とか、まぁ、自分が結婚式挙げる際に参考にするためか(笑)、データ取りにかまびすしい。
あげく、なぜかこの種の式典はテンションがあがりますから、「次は誰だ?」だの、「彼氏がいないっ!」だのと、まぁこちらもにぎやか。
独身の看護師長さん2人は、「せんせっ! わたしどぉ?」って、なぜに突然(笑)。

後輩君はまだ20代で、医者の結婚としては割と早い方になります。
僕の主観ですが、医者は大学を卒業してすぐ、2〜3年くらいのあいだに、大学時代から付き合っていた彼女と結婚するか、あとはもうのんびりと30を超えて、仕事や研究が一段落してから結婚する、というパターンのどちらかが一般的な気がします。
35を超えると焦りだすんですが、40超えるとあきらめる(爆)。
特に女性陣は35を超えないように、かなり焦っている気がします。

若い頃の結婚は勢いなのかなぁ、と思うのですが、それではちょっと大人婚モードの2人が結婚するのは、何がきっかけなんでしょう。
はやりの婚活にしても、出逢いは少なくないはずです。

この結婚式のあと、友人とこんな話をしました。
ある芸能番組。独身の芸能人が恋人募集をします。応募をしてきた男性が、順番にスタジオに登場します。芸能人の彼女は、この人なら良い、と思ったら ○ をあげますが、そうしたら以後の男性には会うことなくゲーム終了。このゲームのキモは、応募してきた男性が何人いるのか、彼女は全く知らないで、○ と ×の判定を下さなくてはならないことです。
×××…と続いて、もしかしたら、もう次は無いかもしれない。
でもここで ○ をあげても、あとにもっと良い人が沢山いるかもしれない。葛藤するわけですね。
ゲーム理論で最適戦略を検討できそうですが(あとで mixi のコミュで聞いてみよっと 笑)、実は僕らの出逢いって、これと同じなのかなぁ、と思うのです。
良い人は沢山いるかもしれない。でももう残りわずかなのかもしれない。これから出逢う人は、これまでに出逢った人ほど良くないかもしれない。でももしかしたら最高の1人と出逢えるかもしれない。

それでは、どこで、どのような理由で、○ をあげるのでしょうか。
共に歩き、共に笑い、共に迷い、共に泣いても良いな、と思う人に出会えたら、とりあえず ○ で良いかな、と思うのですが、意外や男性にも、女性が言う「白馬の王子様」のお姫様版の願望があるのかな、とも考えたりします。

麻布十番の商店街を寒風に吹かれて歩きながら、自分の過去と未来と、一番大切な「今」に思いをめぐらせました。
とりあえず、メール送ろっと(笑)。
posted by GO at 22:55 | Comment(12) | TrackBack(0) | 雑文