2005年11月12日

子供が中心?

たまたま調べ物をしていたら、時々拝見している同業者のブログに、ちょっと気になるコメントを見つけました。

小児科医にとって、対象は常に子供が第一にありますから、ご両親はいつでも「○○ちゃんのお父さん、お母さん」です。何かよっぽどの理由が無い限り、ご両親の first name を呼ぶことはありません。
これは恐らく、子供が中心の世界にいれば、医療者以外でも同様だと思います。
保育園や幼稚園の保母さんも、子供のお友達のお母さんも、「○○ちゃんのお母さん」と呼ぶことはあっても、そのお母さんを「みさこさん」と名前で呼ぶことは多分無い。

これを「非常に侮蔑的な言葉」と感じられる方もいらっしゃれば、「『○○ちゃんのお母さん』と呼ばれることのない現在、あのころの幸福感が夢のよう」だと感じられる方もいらっしゃる。
立場が変われば感じ方も変わるのでしょうが、普段何も考えずに「○○ちゃんのお母さん」と呼んでいるものとしては、これを「侮蔑的」だと感じる方の真意をはかりかねています。

女性は、子供ができて、自分のことを名前ではなく「お母さん」と呼ばれることに、抵抗を感じるものなんでしょうか。
少なくともご主人が、夫婦2人きりの時にも「お母さん」と呼んだら悲しい気もしますが、世間に対するアイデンティティは「お母さん」にある気がする。

もっともこれは「○○さんの奥さん」と呼ばれてしまうことと、根っこは同一なのであって、女性のアイデンティティは、もしかすると常に相対的なものであって、first name による絶対的なものではないのかもしれない。
このあたりが「侮蔑的」だと感じられる背景なのでしょうか?

それでも多分、僕らは「○○ちゃんのお母さん」としか呼べないように思うんですが。

posted by GO at 12:16 | 千葉 ☔ | Comment(4) | TrackBack(0) | 医療

2005年11月07日

帰去来

日本人は農耕民族だから、住む土地に執着する…というのは事実なのでしょうか?
ステレオタイプなものの言い方になりますが、アメリカ人の友人たちは、確かにあちらこちらと住処を変えて、一所にとどまるということにあまりこだわっていない気がします。
古くは金を求めて、フロンティアをもとめて、大陸を移動していった(や、そもそも海を越えてやってきたわけですね)わけですから、自分たちの文化として持っているんでしょうか。

大学を北海道に決めたのは、ひとえにポプラ並木のキャンパスを歩きたかったからなのですが、これは夢かなわず、でも同じ北海道ならいいか、医者になれるのならいいか、と、結局さしたる挫折感もなく、入れてくれるということに感謝をしてかの地を踏んだのは、もうずいぶん昔のことになってしまいました。

麦ちゃん(を知っている人はもう少ないのでしょうか)と同じく、受験のときに、寝台特急のゆうづる+青函連絡船で北海道に渡り、帰りは飛行機で「ゆうづる 舞う。縁起がいいじゃん」とげんを担いだおかげで、その地を青春の住処とできたのは、今となってみれば幸せなことでした。
これからここに住むんだ、と降り立った駅前は、4月というのに雪がいっぱいで、丁度流行っていた「ワインカラーのときめき」が駅前のスピーカーから流れていたのが懐かしい。

自然に囲まれて、確かに北海道第2の都市と言いながら、札幌とは比較にならないくらい田舎ながら、しかも夏は30度を越える暑さで、冬は零下20度を超える寒さで大変でしたが、でもとても住み心地が良かった。
雪が消えて新緑の頃の神楽岡森林公園は、木漏れ日の中を歩くのがたまらなく素敵でした。街中にこれだけの緑があるということも驚きでしたし。
初夏の大雪山はまだ頂に雪があって、授業中に飽きもせず眺め続けたものでした。
短い夏とその後の燃えるような紅葉も、雪の中の露天風呂も、初めて経験するスキーも、何もかもが好きでした。
そしてそれに彩を添えてくれる、大学とは無縁の、街の友人たちとのひと時。

卒業を目前に、帰るか残るか、ずいぶん悩みました。
青春のど真ん中を6年過ごした街は、確かに第2の故郷となっていました。

神奈川に戻って、都会の雑踏の中、医局の窓から見えるのはビルばかりで、山もない、川もない、鳥のさえずりもない、そんな日々は、しがらみさえなければ北海道に「帰ろう」か、と思わせるに充分でした。

縁があって今の病院に移ってきたとき、印旛沼の周辺に広がる田園風景が、なぜか青春を過ごした土地を連想させて、それは規模も雄大さも違うのに、不思議なデジャビュを感じて、少し心が休まったのでした。

そうして気づいたら、この地にもう10年。

根無し草はこれからもここにとどまり続けるのか、またふわふわとどこかに流されていくのか、自分の意思だけではない力が働く世界にいると決して先は分からないのだけれど、そうか、もしかしたら帰る場所があれば流されても大丈夫なんだろうか。

帰去来兮 田園将蕪胡不帰。
帰りなんいざ、田園将に蕪れんとす、胡ぞ帰らざる…

でも、それでは僕の帰るべき場所はどこなんだろう。
posted by GO at 02:31 | 千葉 ☔ | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文