2009年11月11日

オホーツクの舟唄

森繁久彌さんが亡くなりました。
96歳とのことですので、天寿を全うされて、と言いたくなるのですが、ご本人は100歳までお元気に過ごすことを願っていらしたようですので、もしかしたらこころざしなかばに、という方が正しいのかもしれません。

この昭和・平成の大俳優を知ったのは、父が歌う「知床旅情」からでした。確か家のどこかには、森繁久彌さんのLPレコードが残っているはずです。
有名な舞台「屋根の上のバイオリン弾き」は見たことが無いのですが、映画やドラマは子供の頃に良く見た記憶があります。
なんと言うか、子供心にも味のある方だなぁ、と印象深くて、とても好きな俳優さんでした。
歌声も暖かみのある、素敵な声でしたね。

「知床旅情」は加藤登紀子さんが歌って大ヒットしていますから、知らない人はいないと思うのですが、この原曲は映画「地の涯に生きるもの」のロケ最終日に、詩に即興で曲を付けて歌った「さらば羅臼」という曲だというエピソードは、知られているような、いないような。
この詩の詳細は知られていないのですが、恐らくは今日のタイトル、「オホーツクの舟唄」がそれに近いのではないか(あるいは全く同じもの?)と思います。

少し前 YouTube で、森繁さんが「徹子の部屋」に出演されたときに歌われた、「オホーツクの舟唄」が登録されているのを見つけてダウンロードしたのですが、今日探してみたら、どうも削除されているようです。残念。倍賞千恵子さんのバージョンはまだ残っていますから、興味があれば探してみてください。オホーツクの海に暮らす人々の想い、国後(クナシリ)への想いにあふれた、良い歌です。

大学時代に知床を旅しました。
羅臼から海を眺めると、本当にすぐ目の前に国後が見えたのに驚きました。
町の土産物店からは、「知床旅情」の歌が流れていました。
明るい夏の観光地としては「知床旅情」が合うのかな、とは思うのですが、この頃はまだ「オホーツクの舟唄」は知らなかったんです。もし知っていたら、またちょっと違う感慨にふけったかもしれません。

加藤和彦さんが亡くなったのもショックでしたが(これでフォークルの2回目再結成は無くなってしまったんですね。NHKの再結成解散コンサート、録画しそこねたのが、返す返すも残念)、大好きな方々が旅立たれるのは、寂しいものです。

明日の「徹子の部屋」森繁久彌さん追悼番組は録画しなくちゃ。
晩年の森繁さんが朗読された「葉っぱのフレディーいのちの旅」はなかなか素敵です。ぜひ一度手になさってみてください。
大俳優の旅立ちを悼みます。

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2009年10月30日

浜辺の歌

学会で秋田に来ています。

思ったほどは寒くなかったのですが、夜はやはりコートが必須。
今夜は懇親会だったのですが、仲の良い先生方がことごとく、欠席か今日帰られるかで、いつものような夜を徹しての飲み会はなく、プチ二次会程度で早々にホテルに引き揚げてきました。
もう一度飲みに出ようかな〜 と思ったのですが、繁華街は泊っているホテルからはちょっと先なので、寒さもあって億劫になっています。
独身時代とはえらい違いだ(笑)。

学会では、最近話題の経口免疫療法(食物アレルギーの人に、ごく少量のアレルギー原因食物を摂取させて、少しずつ体を慣らす治療法)の話題や、喘息の炎症マーカーである一酸化窒素の測定機械など、興味ある話題をつまみ食いしています。
いつも学会に出るとここに書き込んでいますが、会場で発表を聞いていると、そろそろたまっている宿題(いくつかの与えられている臨床研究)をまとめたり、自分でも研究したりをやらなくちゃ、とモチベーションがあがります。これが持続すれば良いんですけどね。職場が変わって、少し時間が取れるようになったから、エンジン掛かるかなぁ? 掛けなくちゃいけないんだろうな(^^;)
会う先生、会う先生皆さんに、「結婚されたんだって? 職場変わったんだって?」と声をかけられました。やっぱり転職のご報告ハガキ持ってきて、会場で配れば良かった(爆)。

今日のタイトル「浜辺の歌」は、とても好きな抒情歌の1つです。
一般的に歌われるのは1番・2番なのですが、知る人ぞ知る(?)3番の歌詞があります。本当は3番と4番がごっちゃになっているらしいのですが、どうやら編集途中の事故でまぜこぜになってしまったようです。

歌の碑は東京のほかに、湘南は鵠沼海岸にもあるのですが、作曲者の成田為三は秋田県の出身だそうで、秋田内陸縦貫鉄道の米内沢駅を降りると、この歌のメロディーが流れるそうです。

久々にこの歌を口ずさみながら、昔を思い出すのと、明日を想うのと、どちらが多いかで「若さ」が決まる。そんなことをふと考えました。
それは実年齢には関係がないのかな、とも思います。
ご高齢でありながら、さまざまな学会や研究会に顔を出され、新しい仕事を思い描いていらっしゃる先生を拝見すると、きっとこの先生は日々「New」への好奇心にあふれ、いつまでも勉強し続けようとされていらっしゃるんだろうなぁ、と敬服します。
笑顔が素敵な、とても若々しい先生のお姿を見ながら、好奇心を失って日々を流され、明日どころか今日で手一杯、と余裕をなくすと、「若さ」は保てなくなるのかもしれない、と自戒の念をこめて我が身を振り返るのでした。
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2009年09月30日

八ヶ岳に立つ野ウサギ

早いもので、もう9月も終わろうとしています。
そういえば、まだ結婚報告葉書送ってないなぁ、などと、いったいいつの話なんだか、我ながら呆れてしまいます。

8月一杯で14年半勤めた大学を退職して、9月から県北東部にある県立病院に勤め始めました。
医療崩壊の進む地域にあって、3年半前に2人いた小児科医が大学医局に引き上げられてから、他病院の小児科医が午前中の外来だけを細々と継続していた病院です。地域の小児科医は、開業医の先生が1人だけ。
常勤医がいない悲しさか、患者さんは次々と病院を離れて遠方の病院へ移ってしまい、常時7〜8人、ひどいときは午前中の外来患者さんが2人、なんていうこともあったようです。
常勤医が戻ってくれば、患者さんもすぐに戻ってくるよ、と誰もが言ってくれるのですが、さすがにこれは無いだろう、と若干焦ってしまいました。今は周辺の行政や市の広報、新聞の地方版などを使ってPRの毎日です。
けれどそれ以上に強力なのが、お母さんたちの口コミのようです。良い(?)アレルギー屋さんが来たらしい、と噂を聞きつけて訪れてくださる患者さんが少なからずいて、どうにか1ヶ月でコンスタントに15人レベルまで戻しました。患者さん、倍増(苦笑)。新型インフルエンザがピークを迎えれば、きっと3倍増(爆)。

良く大学が手放してくれましたね、というのは、挨拶をしたあちこちで言われたことでした。
春頃から「辞める〜」とのろしを上げていましたし、65歳まで働きたい(大学の定年は教授以外は60歳です)とボスに相談もしていましたから、医局としては諦めていたようです(あ、でも医局の人事権を握る医局長は、僕だった 笑)。
辞めた理由は何ですか? というのも、やはりあちこちで恐る恐る尋ねられた質問でした。
そのつど、65歳まで働きたかったから、とか、結婚を機に退職、とか、医局は未熟児新生児と神経(主にてんかん)に大きく舵を切ったからその他の専門医は不要になった、とか、月8回の当直+月1〜2回の緊急呼び出しに疲れた、とか、まぁ色々な理由を答えていたのですが、どれもが正解で、おそらくそれらが全て重なっての結果、というのが一番正しいのかもしれません。
どうしてこの病院なんですか? という質問もたまにありました。
開業の意思はなかったし、どうせ働くなら、小児科医がいなくて着任を心から望まれるところが良いかな、と思ったのですが、そう答えると誰もが必ず驚いたような呆れたような顔をしながら、でも大変ですよぉ、と言われる。
覚悟はしているんですけどね。そう苦笑いして答えるばかりです。

地域医療を担う、というほど大上段に構えているわけではないのですが、医療崩壊地域の子供たちの困窮振りは、隣の医療圏で見ていると手に取るように分かります。ほんのわずかだけれど、手助けになるのなら、医者冥利に尽きるってぇもんです。

都会で働くことも考えたのですけれど、都会では埋もれてしまうものが、田舎で暮らせば見えることがある。
引越ししたわけではありませんから、本当の意味で田舎で暮らすわけではありませんけれど、常駐すれば分かること、感じることは少なくありません。たとえば生活(くらし)について、たとえば病気について。家庭の経済事情は決して楽ではありませんし、病気になったとき、相談できるところも身近に少ない。ひとつひとつの生命の重さはどこに暮らしても差は無いはずなのですが、同じ県の中でもこれほどまでに差があるのか、と驚かされることは少なくありません。

自分にどれだけのことができるのか、それを考えると決して安穏としてはいられないのですが、「常勤の先生が来てくれて良かった」という患者さんやスタッフの笑顔を見ていると、もうひと頑張りできる勇気と誇りを持てる、そんな気がしています。

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2009年08月25日

少年時代

9月からの転職を控え、7月上旬から有給休暇の消化をかねた、長い夏休みに入っています。
夏休み前には、あれをしよう、これをしよう、と計画をしていたのですが、案の定(?)夏休みに入ったら計画倒れで今日まで来てしまいました。
気がついたら夏休みもあと1週間。あらぁ。もう?
まだ宿題が終わってないよぉ、と焦っていた少年時代を思い出します。
つまるところ、夏休みに関しては、昔から何にも変わっていないのね。

7月は部屋の片付けから始めたのですが、途中で新婚旅行の準備に大忙しとなりました。
7月の下旬という日程以外何も決まらずにいたのですが、結婚式の二次会に出席された皆さんの予想通り(苦笑)、南の島でのんびり、は却下されまして、結局カナダへ鳥を見に行くことになりました。

例によって(爆)スタートはバンコクから。
バンコク発成田経由サンフランシスコ行き往復をビジネスクラスで買って、マイルだのアップグレードポイントだのを総動員して、成田−サンフランシスコの往復は無事にファーストクラスを手に入れました。
昔から憧れていた「ファーストクラスで新婚旅行」。
バンコクでいつもお世話になっている美津子さんのプッシュのおかげですね。感謝です。結婚祝いもありがとうございました。奥様はファーストクラス初体験で、大変楽しんだ様子です。
バンコクではさらに、旅仲間の某氏がJALのスッチーさん2人を連れてお楽しみのところに乱入しちゃいました。これも感謝。

サンフランシスコからバンクーバーへ入り、スタンレーパークで鳥とアライグマと戯れ、VIAの観光寝台特急カナディアン号でジャスパーへ。
ジャスパーでも鳥と戯れ、ハーツのレンタカーを借りて、氷河街道をエメラルドグリーンの湖やコロンビア大氷原、レイクルイーズを眺めながらバンフまでドライブ。このルートは、ジャスパーからバンフへ向かう方が、見所への到達時刻を考えるとベターな気がします。
さすがにバンフでは鳥と戯れる時間が無かったのですが、これはまぁ良しとしてもらいました。翌日カルガリーへ出てサンフランシスコへ戻り1泊。
フィッシャーマンズワーフには午後に出かけたのですが、霧は出るわ、無茶苦茶寒いわで、バンクーバーより南のはずなのに、潮の流れでこんなに気温が違うものなんでしょうか? フィッシャーマンズワーフでまず、ジャンパーを買い込んだのですが、そういえば前にもそんなことした記憶がある(^^;)
合計11日間の旅でした。奥様は鳥の写真を撮りまくってご満悦の新婚旅行でしたが、彼女いわく、「だってGOさんだって飛行機一杯乗って、寝台特急にも乗って、結構満足したでしょう?」 …ハイ、そうです…

8月に入ってからは、ボチボチとお仕事もしているのですが、外来には夏休み中の子供達がやってきて、まぁにぎやかです。対照的にお母さんたちは誰もがちょっとお疲れモード。いつものことですが、夏休みはやっぱりお母さんには大変そうです。
春休みとも冬休みとも違って、休み期間が長いからなのか、暑いからなのか、夏休みの子供たちは元気ですね。思いっきり遊んで日焼けして、休みを堪能している喜びがひしひしと伝わってきます。一部受験勉強で青くなっている子もいますけど。
それでも今月中旬からは、「宿題終わった?」と質問すると、すごく表情暗く、「まだぁぁ」と答える子供が多いのが微笑ましいところです。
宿題って、なんで計画的に片付けられないんでしょうねぇ。

残り1週間となってしまった夏休み。
今週は沢山の仕事に、いくつかの飲み会に、週末は京都旅行もあって忙しく、結局僕の宿題の残りは、秋に持ち越しとなりそうです。
気分的にはまだ、「私の心は夏模様」状態ですが、さすがにそうも言っていられないか。秋には秋で、またやらなくちゃいけないことが沢山できるのも、認めたくない事実です。
冒頭に書いた通り、夏休みの終わりに、深く後悔して反省するのは、やはり少年時代から何も変わっていない… 大人になってないんでしょうか? 子供相手の仕事だから、まぁいっか。(ホント?)

そして気がついたら、奥様と出会って丁度1年が経っていたのでした。


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2009年07月08日

がんばらんば

夜部屋から空を見上げたら、目の前にまん丸なお月様が光り輝いていました。
今日は1日、晴れたり雨が降ったりと落ち着かない天気でしたが、夜空にはわずかに雲がある程度。どうやら彦星と織り姫は、今年もカササギが架けてくれた橋を渡って、無事に出会えたようです。

病院内のあちこちに笹の葉が飾られるようになると、今年も七夕が近いんだなぁ、と感じます。
その葉につるされた沢山の短冊には、病気を抱えた人の、それを支える家族の、お手伝いをする医療者の、切なる願いが綴られています。
どうかみんなの願いがかないますように。

長く勤めて愛着のある大学病院ではありましたが、結婚を機に(笑)、この夏で退職することにしました。
秋からは千葉県のはずれにある公立病院で、部下のいない小児科「部長」(苦笑)をします。3年前に国立大学の小児科医局が医者を引き上げてから、近隣の医療圏で小児科医は開業の先生が1人という、小児医療崩壊地域です。
地域医療を立て直す、というほどおこがましい想いがあるわけではありません。大学の医者に疲れただけです。それでも望まれてその地に赴き、微力でもお手伝いができるなら、医者冥利に尽きるかもしれません。
当面当直はないし、土日祭日はしっかり休みですから、少し生活が落ち着くんじゃないか、という期待もあります。
それでもきっと、違う意味で大変な日々が続くんでしょうね。覚悟はしていますが、覚悟以上だったらどうしよう。頑張るしかないかなぁ。

このブログは読んでいないかもしれないけれど、相談にのって頂いた沙綾さん、どうもありがとう。

昔、学生の頃に、織り姫と彦星に子供はできるのか、という、実に医学生的な(?)疑問を話し合ったことがあります。
1年は365日。閏年でも366日。女性の体調は28〜30日周期で変化することが多いですから、28日周期なら1年に1日ずつずれる。
29日周期で1年に17日、30日周期だと5日。いずれにせよ割り切れるわけではないので、どこかで子供に恵まれるチャンスが来るだろう、とまぁ気の長い話に落ち着きました。
でも後になって、妊娠可能年齢はどうなのよ、という突っ込みがあって、まぁ人智を超越した存在だからね、と笑い話になった。
望んで得られるなら、こんなに幸せなことはないでしょう。
週末通い(通ってくる)婚の僕も似たような境遇ですが、さて。

家族が増える日のために、がんばらんば。

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2009年06月16日

ヴァージン・ロード

前日までの雨から打って変わって、朝からとても良い天気の日曜日でした。
前の夜、3時過ぎまで、席札にコメントを書いたり、二次会で使うスライドを作ったりで夜更かしをしたのですが、やはり緊張していたのか、割と早めに目が覚めました。
窓から差し込む陽の光に少しだけ心の中でガッツポーズ。どうやら1日雨だけは心配がなさそうです。

予定よりも早めに家を出たのですが、お相手はすでにホテルに着いた、とメールが届いたところをみると、やはり向こうもそれなりに緊張したのでしょうか?
こうして長くて短い1日が始まりました。

ホテルに着いてからは周囲に気を配る余裕も無く、もうバタバタと時間が過ぎるばかりでした。
着替えやらメイクやら髪の毛のセットやら終わって、少し早めに解放されたので親族控え室をのぞくと、久しぶりに会う伯父やいとこ達に囲まれました。久々のイベントということもあって、どの顔も明るく、なかなかご挨拶から解放されないのですが、僕、まだウェルカムスピーチも最後のご挨拶も考えてないのよね…

教会はホテル併設でしたが、司式をお願いした牧師さんは持ち込み(笑)。打ち合わせのとき、「牧師さんは(新婦の)伯父さんにお願いしようと思うんです」と話したら、「あらぁ、牧師さん持ち込みですか?(笑) 初めてですね。持ち込み料はかからないですけど」と担当者(爆)。でも、どこの誰だか分からない人よりも、よほど思い出に残るでしょう。

窓から穏やかに差し込む光の中、式が始まりました。
何度と無く経験した式ではありますが、当事者になるのは初めて(笑)。自分が祭壇の前に立っている、というのが、なんだかとても不思議な、実感がわかない一瞬でした。
扉が開いて、父親と腕を組んでいる彼女を見て、ようやくこれが自分のための式なのだと実感したのですが、僕はどんな顔をしていたのでしょうか。
ヴァージン・ロードを歩いてくる彼女のほうが、よほど余裕があるように思えたのですが、実際はどうだったのでしょう。そういえばまだ感想を聞いてないなぁ。

披露宴は「落ち着いた大人のおもてなし」がコンセプトでしたけれど、出席した方々の印象も同様だったところをみると、期待通りだったのかもしれません。
ゲストスピーチがてんこもりで、おかげで最後の新郎ご挨拶を考え損ねて、ぶっつけ本番・すべてアドリブで喋る羽目になったのは、ご愛嬌ですか? 多分、それほどは外してない内容だったと思うんですけどね。マイク握ったら、それなりに喋るヤツなんです、僕(笑)。

和やかに、明るく、落ち着きながらも笑いもあって、企画者としては満足だったのですが、その分予定よりも1時間超過(苦笑)。おかげで二次会には大幅に遅刻をして、皆さんをお待たせする羽目になりました。
主役を待たずに先に食べて飲んで喋って、二次会は同窓会の様相を呈していましたが、そのため遅れてきた僕らは、皆さんと喋るほうが忙しく、結局ベトナム料理食べ損ねました。美味しそうだったのになぁ。まぁしかたないかな。
二次会お開き後に港区役所まで婚姻届を出しに行ったのですが、帰り道六本木で2人しておそばを食べたのは、内緒です(笑)。

遠方からの友人たちと充分おしゃべりができなかったり、病棟急変や体調不良で急遽参加できなくなった友人たちがいたことが残念でしたが、それでも久しぶりの顔をながめられたのは幸せでした。
後で冷静になってみると、二次会に声を掛け忘れた友人達がいたりして、申し訳ないと後悔しましたが、過ぎちゃったらもう遅いもんね。どこかの旅の空の下、ちゃんと紹介しますね。
今度はもう少し余裕を持ってうまくやれるんだけどなぁ、とつぶやいて周囲の失笑をかったのは、ご愛嬌その2です。「今度」があっちゃ困るわね、確かに(苦笑)。

当面は別居・週末通い婚なので、日々の生活はこれまでとあまり変化が無いのですが、左手の薬指にはめた指輪だけが、これまでと違う何かを主張しています。
ようやく、やっと、新しい一歩を踏み出したのだけは間違いがないようです。

皆様、これからは2人、どうぞよろしくお願いいたします。
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2009年05月31日

むかし子供達は

むかし子供達は 夢の実る木だったよ
すり傷だらけでいつも かみさまのとなりにいた

小学校の同窓会をやるよ、と連絡が届いたのは1ヶ月前。
日取りを見たら結婚式の1週間前の土曜日でした。
なんとまぁ絶妙のタイミングなんでしょ。でも、この前同窓会に出たのは、卒業して1〜2年経った頃でしたから、もう30年以上も前。
懐かしいなぁ、とただそれだけで、スケジュールを空け、参加してきました。

会場に指定された横浜関内の中華料理屋さんに少し早めの時間に着いたら、すでに何人かの友人たちが談笑中でした。
不思議なもので、30年以上も会っていないのに、半分の友人たちはすぐに名前が分かりました。昔の面影がある、というかそのまんまというか。時を超え、一気に昔の子供時代に戻りました。

むかし子供達の こころに屋根はなかった
上を見あげればいつも 青空がひろがってた

1学年60人ちょっとの2クラスでしたから、誰も彼もが顔なじみでした。
いじめっ子もいたし、内気な子もいたし、いたずらっ子も、お茶目な子も、気の強い女の子も、おしとやかな女の子も、それは個性的に色々でしたが、みなそれぞれに歳を重ね、穏やかににぎやかに、話が弾みます。
昔のように讃美歌312番を歌ってお祈りで始まった同窓会は、もうね、食事なんてそっちのけなんですよ。お店の人が「お願いだから食べてください」って言っても、料理よりも談笑(笑)。

近況報告を聞くと、いまだに当時の住所のまま、といううらやましい友人がいたり、結婚して三島に住んでいて、新幹線で飛んできた、という女の子がいたり。ずっと独身だったり、独身に戻った友人も何人かいました。
卒業後中学・高校も一緒だった友人たちは、今でも結構付き合いがあるようです。それもまたうらやましい。
今年の1月に乳がんの手術をして抗がん剤を飲んでいる、という友人もいました。
女性で初の少年漫画誌の編集長になった友人は、子供の頃の姿かたちがまったく変わらず大人になっていました。今流行の「魔女」だぞ。
あの頃大好きだった仲の良かった子は、今は銀座で内科を開業しているのですが、つい2日前に本を出版したそうです。二次会への移動途中、有隣堂で在庫の7冊すべて、友人たちが買い占めて著者のサインもらっていました。出遅れたら買い損ねた(苦笑)。 今でも美人でしたが、最近は昔の苗字に戻って仕事しているようです。友達の一人に、「結婚はやまった、とか思ってないか?」といたずらっぽく笑われました。いや、いきなり2人の子持ちにはなれない(爆)。

むかし子供達は ねずみ花火だったよ
どこへ転げていつはじけるか 誰にもわからなかった

子供時代にもどって、はしゃぎ、笑い、飲んでしゃべって、本当に楽しいひと時でした。
小学校の同窓会というのは、多分一番無邪気な時代を共有した友人たちとの仲の確認ですから、他の同窓会とはちょっと違うんでしょうね。
聞けば10年くらい前にも一度同窓会があったそうです。知らないよ? と言ったら、お前は当時行方不明者だったんだ、と笑われました。丁度研修で、病院を転々と変わってた時期だったのね。あ、そうなのか(苦笑)。

結婚おめでとう! お幸せにね〜 の声に押されて、一足先に二次会を後にしたのですが、とても心が温かくなったひと時でした。
残念ながら出席できなかった友人たちもいましたが、きっとどこかで元気にしているのだと信じます。

また会いたいね。

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2009年04月13日

春爛漫

暖かくなりました。
つい先日までは、曇りや雨ではぐ〜っと気温が下がったのですが、さすがにもうそんなこともなく、それどころか日中の車内は、暑いくらい。
僕の住む街ではこの水曜日まで、毎年恒例のチューリップ祭りが開かれています。オランダ風車のもと、色とりどりのチューリップが咲き乱れている様が、近くを通る電車の中からも見て取れます。
桜は散りかけていますが、そろそろ新緑も見られるようになって、良い季節になりましたね。

先週は入学式ラッシュで、僕の子供達にも小学校や中学校・高校、あるいは幼稚園に保育園(笑)と、やはり入学式を迎えているピカピカの1年生が少なくありません。
そういえばマイミクさんの息子さんも、今年小学校入学でしたね。おめでとうございます。

お陰で外来では、学校に提出するアレルギー指導書をせっせと作成するハメになっています。
微妙に中途半端な指導書で、少しばかりため息です。

新しい会計年度が始まり、公私の公は雑用てんこもりです。
科学研究費がらみの用件は雑用と言っては失礼ですが、これもまた昨年度の収支報告だの、今年度の諸書類の準備だの大忙しです。
同僚が1人いなくなって、新しい人が1人来て、職場内の役割分担は色々と調整が必要ですし、院内をみまわすとこれまた委員会の目白押し。
頑張ったふりしてサボってます(苦笑)。
でも、サボってるの、ばれてるだろうなぁ(爆)。
燃え尽きてきてますので、残り火をわずかに灯して、あともう一頑張り?

公私の私は、これがもう最優先・最重要課題(笑)。
6月の初めに式を挙げることになりました。いや、べつにできちゃった婚じゃないんですが、夏場を避けるとすると、ここで結婚しないと次は9月だって? ここまで来たら、早めに確定しておかなくちゃ(爆)。
かくして毎週末、リッツカールトンで打ち合わせだの、引き出物や衣装を決めたりだの、そういえば招待状も送らなくちゃ、というわけで、忙殺されています。決めなきゃいけないこと、沢山あるんですよね。
会う人誰も彼も、「今が一番良いときだよね〜」と仰るんですが、てことはなんですか、結婚した後よりも、今の方が良いと? まぁ、なんとなく分かるような気がする…?? (あ、怒られそうだな 笑)
二次会の会場探しも自分達でしているあたり、どうなのよぉ、という突っ込みも入りそうですが、楽しいからいっか。
旅仲間の皆さんは、お誘いしたら来てくれるのかしらん?

ちょっと落ち込んだり疲れたり燃え尽きたりしてますが、なあに、ちいさなはずれは当たりの貯金、いつかはどーんと大当たり(笑)。
次の一文は恥ずかしいから書かない(爆)。
世間ではそろそろ散ってる桜ですが、僕の周辺ではまだまだ咲き乱れているようです(笑)。

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2009年03月31日

Angel

NICU(新生児集中治療室)で大切に可愛がられて育っていた子が、今朝旅立ちました。

600g弱の未熟児で生まれた彼女は、最初の危険を乗り越えたところから、なんだかよく分からない病気に苦しめられ続けてきました。
抱えている2つの問題のうち1つは、すごく特殊なミルクアレルギーだろうと分かったのですが、もう1つの原因は最後まで分かりませんでした。
そうならないで欲しい、というみんなの願いも届かず、今朝方、大きく泣いたあと静かに心臓が止まり、どんな薬にも反応せず、どんな呼びかけにも反応せず、10ヶ月と1日の生涯を閉じました。体重の増えない子でしたが、最後に体重を量ったら1622gとはじめて1600gを超えていました。

天使の腕の中でここから高く飛び立つ。

時々NICUに長く居座る子がいます。
大抵は大きな問題を抱えているために、NICUから外に(一般の小児病棟に)移れないわけですが、そしてそれがNICU不足に拍車をかけると問題になるのですが、えてしてこうした長期入院の子供たちは、病棟スタッフのアイドルになります。
ママとパパの代わりに愛情を注ぎ、世話をし、まさに「育てる」わけですから、そこに生まれる感情はビジネスライクなものよりも、両親・家族に近いものになるのでしょう。
こうした天使ちゃんたちは、時にはママよりもスタッフになついていたりして、それはそれで切ないのですが、一方どんなに愛情を注いでも、ママが面会に来ると、それまでの不安定な状態がいきなり落ち着いたりするあたりは、これもまた切ない。

そうやって愛情を注いだ子が大きくなって、問題を乗り越え、無事に巣立って行くのなら何よりなのですが、時には頑張って頑張って、頑張りきれなかった子もいるわけです。
それが突然であればあるほど、愛情を注いだスタッフの喪失感は両親と同様とても大きいのですが、実はもっと切ないのは、その涙の中で隣の子に笑顔を向けなくてはならない一瞬があることかもしれません。
家族と同じ痛みを抱えながら、家族と同じ様には悲しんでいられない心は、悲しみの処理をできずによりどころを求めてさ迷うのでした。

昔「研修医の涙」という一文を書いたことがあります。自分の心を守るために、いつでも一歩ひいたところに立っているはずが、時には醒めた距離を置ききれずにのめりこんでしまう受け持ちの子供がいるのも事実で、今朝のようにそんな子を失うと心が折れます。

それでも、暗く冷たい部屋から、終わりの無い恐れから、苦しみから、天使の腕に抱かれて天使が飛び立って行くのだ、と思えれば、少しは心がやすまるのですが。

「なにするのよ〜」とキョロっと主治医をにらむ顔や、あやしたときに見せる一瞬の笑顔を胸に、さぁ、僕も帰ろうかな。

posted by GO at 20:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 医療

2009年02月16日

天までとどけ

上層階に上って行くにしたがって明るくなってくる不思議な照明を持つエレベーターが止まると、目の前に空中庭園のようなロビーが広がります。
天気の良い午後ですから、自然光が降り注ぐロビーはとても明るく、足元に新宿の街並みを眺めながら、大勢のお客さんたちが午後のお茶を楽しんでいました。
ライブラリーを抜けた奥、ちょこっとテーブルで面談中、という雰囲気のフロントでチェックインを済ませると、滞在中の全てのスケジュールが提示されました。そういえばチェックインのときに、スパや食事の予約まで確認されたこと、今までにあったかなぁ。

「気合入れて泊まるならどっち?」と旅仲間に質問したら、彼女は半ば呆れながら「そりゃもちろんこっち」と即答したのでした。う〜ん、そうか。ラグジュアリー・ホテルの中でも、かなり気合入れないと泊まれない値段設定のホテルなんだけどなぁ…
それでも "My Cristal Valentine" なんていうプロモーションがあるので、福岡に遊びに行った際、ホテルのコンシェルジェに頼んでパークビュールームの予約を入れてみたのでした。ついでに、これが肝心のバレンタイン・特別ディナーも予約。でももう3週間前ですから予約は一杯で、窓側の席なんて望むべくもない。
まぁ、普通ならそうなんでしょうが、そこで引き下がれない理由がある(笑)。
福岡からの帰り、少し早めの便になったのを幸いに、そのまま新宿へ直行しました。
対応してくれたコンシェルジェは、ブロンドのとてもかわいい女の子でした。流暢に日本語を話す彼女は、僕の相談を聞くとわがことのように盛り上がる。それは楽しそうで、相談しているこちらまで、なんだか緊張はどこへやら、一緒に楽しんでしまいました。うん、確かにこのホテル、良いかも。

はやりの「婚活」(=結婚活動)で出会った2人は、お試し期間を過ぎて進むなら、その先は多分よほどのことがない限り結婚が待っているわけで、進まないと決めるなら別れるしかない。そんな条件に縛られているのですが、さて、ではこの人で良いとどこで決めるのでしょう。
先日の雑文についたコメントや友人達によれば、その意思決定の原動力は「勢い」のようですが、結婚を前提に出会った2人に、そんな勢いがつくものなのか、かなり疑問(と不安)に感じたのは事実でした。
運命の人を探して」という本の中で主人公は、それこそ沢山の人と出会っていくのですが、やはり「これだ」という決め手にかけるまま、運命の人を探す旅の中を彷徨っていました。最後に決めた人との出会いは、決して運命的な出会いではなく、ふと気づいたら隣にいた、といった印象なのですが、そんな出会い方というのは、やはりこれも運命という奇跡なのでしょうか。どうも1人が長いと、頭でっかちになっていけない(苦笑)。
僕自身はこの婚活の中で、「運命の人」と思う出会いがあったものの、これが予想外の結末に終わって、落ち込むわ、自信はなくすわで、やはり運命の人なんていないんじゃないか、とさえ思えたのでした。

出逢いはいつでも偶然の風の中。
僕は1歳違いで彼女の対象外だったし、僕は僕で迷いながら彷徨っている最中。そんな2人が出会ったのは、やはり小さな偶然の重なりの上でした。
迷いはいつまでも解消されるわけでもなく、時間だけが過ぎていったのですが、ふと気づくと毎朝届くメールを心待ちにしている自分がいました。
相手への夢や希望はお互いに持っていたのですけれど、譲れないと思う条件は、実はそれほどの意味を持たないのかもしれない。それに気付いた時にはすでに、答えが出ていたのかもしれません。

約束の時間に訪れた最上階のレストランでは、事前の情報とは違って、一段低くなったレストランの一番奥、2面を窓に接した一番静かな席に案内されました。聖バレンタインの夜、レストランは満席でしたけれど、確かにこの席なら文句はありません。
たわいもないおしゃべりと美味しい食事を楽しんだ最後、デザートを運んでくるイケメンのボーイさんが、彼女の肩越しに僕にアイコンタクトを送ってきました。だいじょうぶ。心の準備はできているから。
そっと彼女の前に置かれたデザートには、ホワイトチョコレートの板に、細いきれいなチョコレートの文字が並んでいました。
"Would you marry me?"

posted by GO at 23:26 | Comment(20) | TrackBack(0) | 雑文