前日までの雨から打って変わって、朝からとても良い天気の日曜日でした。
前の夜、3時過ぎまで、席札にコメントを書いたり、二次会で使うスライドを作ったりで夜更かしをしたのですが、やはり緊張していたのか、割と早めに目が覚めました。
窓から差し込む陽の光に少しだけ心の中でガッツポーズ。どうやら1日雨だけは心配がなさそうです。
予定よりも早めに家を出たのですが、お相手はすでにホテルに着いた、とメールが届いたところをみると、やはり向こうもそれなりに緊張したのでしょうか?
こうして長くて短い1日が始まりました。
ホテルに着いてからは周囲に気を配る余裕も無く、もうバタバタと時間が過ぎるばかりでした。
着替えやらメイクやら髪の毛のセットやら終わって、少し早めに解放されたので親族控え室をのぞくと、久しぶりに会う伯父やいとこ達に囲まれました。久々のイベントということもあって、どの顔も明るく、なかなかご挨拶から解放されないのですが、僕、まだウェルカムスピーチも最後のご挨拶も考えてないのよね…
教会はホテル併設でしたが、司式をお願いした牧師さんは持ち込み(笑)。打ち合わせのとき、「牧師さんは(新婦の)伯父さんにお願いしようと思うんです」と話したら、「あらぁ、牧師さん持ち込みですか?(笑) 初めてですね。持ち込み料はかからないですけど」と担当者(爆)。でも、どこの誰だか分からない人よりも、よほど思い出に残るでしょう。
窓から穏やかに差し込む光の中、式が始まりました。
何度と無く経験した式ではありますが、当事者になるのは初めて(笑)。自分が祭壇の前に立っている、というのが、なんだかとても不思議な、実感がわかない一瞬でした。
扉が開いて、父親と腕を組んでいる彼女を見て、ようやくこれが自分のための式なのだと実感したのですが、僕はどんな顔をしていたのでしょうか。
ヴァージン・ロードを歩いてくる彼女のほうが、よほど余裕があるように思えたのですが、実際はどうだったのでしょう。そういえばまだ感想を聞いてないなぁ。
披露宴は「落ち着いた大人のおもてなし」がコンセプトでしたけれど、出席した方々の印象も同様だったところをみると、期待通りだったのかもしれません。
ゲストスピーチがてんこもりで、おかげで最後の新郎ご挨拶を考え損ねて、ぶっつけ本番・すべてアドリブで喋る羽目になったのは、ご愛嬌ですか? 多分、それほどは外してない内容だったと思うんですけどね。マイク握ったら、それなりに喋るヤツなんです、僕(笑)。
和やかに、明るく、落ち着きながらも笑いもあって、企画者としては満足だったのですが、その分予定よりも1時間超過(苦笑)。おかげで二次会には大幅に遅刻をして、皆さんをお待たせする羽目になりました。
主役を待たずに先に食べて飲んで喋って、二次会は同窓会の様相を呈していましたが、そのため遅れてきた僕らは、皆さんと喋るほうが忙しく、結局ベトナム料理食べ損ねました。美味しそうだったのになぁ。まぁしかたないかな。
二次会お開き後に港区役所まで婚姻届を出しに行ったのですが、帰り道六本木で2人しておそばを食べたのは、内緒です(笑)。
遠方からの友人たちと充分おしゃべりができなかったり、病棟急変や体調不良で急遽参加できなくなった友人たちがいたことが残念でしたが、それでも久しぶりの顔をながめられたのは幸せでした。
後で冷静になってみると、二次会に声を掛け忘れた友人達がいたりして、申し訳ないと後悔しましたが、過ぎちゃったらもう遅いもんね。どこかの旅の空の下、ちゃんと紹介しますね。
今度はもう少し余裕を持ってうまくやれるんだけどなぁ、とつぶやいて周囲の失笑をかったのは、ご愛嬌その2です。「今度」があっちゃ困るわね、確かに(苦笑)。
当面は別居・週末通い婚なので、日々の生活はこれまでとあまり変化が無いのですが、左手の薬指にはめた指輪だけが、これまでと違う何かを主張しています。
ようやく、やっと、新しい一歩を踏み出したのだけは間違いがないようです。
皆様、これからは2人、どうぞよろしくお願いいたします。
2009年06月16日
2009年05月31日
むかし子供達は
むかし子供達は 夢の実る木だったよ
すり傷だらけでいつも かみさまのとなりにいた
小学校の同窓会をやるよ、と連絡が届いたのは1ヶ月前。
日取りを見たら結婚式の1週間前の土曜日でした。
なんとまぁ絶妙のタイミングなんでしょ。でも、この前同窓会に出たのは、卒業して1〜2年経った頃でしたから、もう30年以上も前。
懐かしいなぁ、とただそれだけで、スケジュールを空け、参加してきました。
会場に指定された横浜関内の中華料理屋さんに少し早めの時間に着いたら、すでに何人かの友人たちが談笑中でした。
不思議なもので、30年以上も会っていないのに、半分の友人たちはすぐに名前が分かりました。昔の面影がある、というかそのまんまというか。時を超え、一気に昔の子供時代に戻りました。
むかし子供達の こころに屋根はなかった
上を見あげればいつも 青空がひろがってた
1学年60人ちょっとの2クラスでしたから、誰も彼もが顔なじみでした。
いじめっ子もいたし、内気な子もいたし、いたずらっ子も、お茶目な子も、気の強い女の子も、おしとやかな女の子も、それは個性的に色々でしたが、みなそれぞれに歳を重ね、穏やかににぎやかに、話が弾みます。
昔のように讃美歌312番を歌ってお祈りで始まった同窓会は、もうね、食事なんてそっちのけなんですよ。お店の人が「お願いだから食べてください」って言っても、料理よりも談笑(笑)。
近況報告を聞くと、いまだに当時の住所のまま、といううらやましい友人がいたり、結婚して三島に住んでいて、新幹線で飛んできた、という女の子がいたり。ずっと独身だったり、独身に戻った友人も何人かいました。
卒業後中学・高校も一緒だった友人たちは、今でも結構付き合いがあるようです。それもまたうらやましい。
今年の1月に乳がんの手術をして抗がん剤を飲んでいる、という友人もいました。
女性で初の少年漫画誌の編集長になった友人は、子供の頃の姿かたちがまったく変わらず大人になっていました。今流行の「魔女」だぞ。
あの頃大好きだった仲の良かった子は、今は銀座で内科を開業しているのですが、つい2日前に本を出版したそうです。二次会への移動途中、有隣堂で在庫の7冊すべて、友人たちが買い占めて著者のサインもらっていました。出遅れたら買い損ねた(苦笑)。 今でも美人でしたが、最近は昔の苗字に戻って仕事しているようです。友達の一人に、「結婚はやまった、とか思ってないか?」といたずらっぽく笑われました。いや、いきなり2人の子持ちにはなれない(爆)。
むかし子供達は ねずみ花火だったよ
どこへ転げていつはじけるか 誰にもわからなかった
子供時代にもどって、はしゃぎ、笑い、飲んでしゃべって、本当に楽しいひと時でした。
小学校の同窓会というのは、多分一番無邪気な時代を共有した友人たちとの仲の確認ですから、他の同窓会とはちょっと違うんでしょうね。
聞けば10年くらい前にも一度同窓会があったそうです。知らないよ? と言ったら、お前は当時行方不明者だったんだ、と笑われました。丁度研修で、病院を転々と変わってた時期だったのね。あ、そうなのか(苦笑)。
結婚おめでとう! お幸せにね〜 の声に押されて、一足先に二次会を後にしたのですが、とても心が温かくなったひと時でした。
残念ながら出席できなかった友人たちもいましたが、きっとどこかで元気にしているのだと信じます。
また会いたいね。
すり傷だらけでいつも かみさまのとなりにいた
小学校の同窓会をやるよ、と連絡が届いたのは1ヶ月前。
日取りを見たら結婚式の1週間前の土曜日でした。
なんとまぁ絶妙のタイミングなんでしょ。でも、この前同窓会に出たのは、卒業して1〜2年経った頃でしたから、もう30年以上も前。
懐かしいなぁ、とただそれだけで、スケジュールを空け、参加してきました。
会場に指定された横浜関内の中華料理屋さんに少し早めの時間に着いたら、すでに何人かの友人たちが談笑中でした。
不思議なもので、30年以上も会っていないのに、半分の友人たちはすぐに名前が分かりました。昔の面影がある、というかそのまんまというか。時を超え、一気に昔の子供時代に戻りました。
むかし子供達の こころに屋根はなかった
上を見あげればいつも 青空がひろがってた
1学年60人ちょっとの2クラスでしたから、誰も彼もが顔なじみでした。
いじめっ子もいたし、内気な子もいたし、いたずらっ子も、お茶目な子も、気の強い女の子も、おしとやかな女の子も、それは個性的に色々でしたが、みなそれぞれに歳を重ね、穏やかににぎやかに、話が弾みます。
昔のように讃美歌312番を歌ってお祈りで始まった同窓会は、もうね、食事なんてそっちのけなんですよ。お店の人が「お願いだから食べてください」って言っても、料理よりも談笑(笑)。
近況報告を聞くと、いまだに当時の住所のまま、といううらやましい友人がいたり、結婚して三島に住んでいて、新幹線で飛んできた、という女の子がいたり。ずっと独身だったり、独身に戻った友人も何人かいました。
卒業後中学・高校も一緒だった友人たちは、今でも結構付き合いがあるようです。それもまたうらやましい。
今年の1月に乳がんの手術をして抗がん剤を飲んでいる、という友人もいました。
女性で初の少年漫画誌の編集長になった友人は、子供の頃の姿かたちがまったく変わらず大人になっていました。今流行の「魔女」だぞ。
あの頃大好きだった仲の良かった子は、今は銀座で内科を開業しているのですが、つい2日前に本を出版したそうです。二次会への移動途中、有隣堂で在庫の7冊すべて、友人たちが買い占めて著者のサインもらっていました。出遅れたら買い損ねた(苦笑)。 今でも美人でしたが、最近は昔の苗字に戻って仕事しているようです。友達の一人に、「結婚はやまった、とか思ってないか?」といたずらっぽく笑われました。いや、いきなり2人の子持ちにはなれない(爆)。
むかし子供達は ねずみ花火だったよ
どこへ転げていつはじけるか 誰にもわからなかった
子供時代にもどって、はしゃぎ、笑い、飲んでしゃべって、本当に楽しいひと時でした。
小学校の同窓会というのは、多分一番無邪気な時代を共有した友人たちとの仲の確認ですから、他の同窓会とはちょっと違うんでしょうね。
聞けば10年くらい前にも一度同窓会があったそうです。知らないよ? と言ったら、お前は当時行方不明者だったんだ、と笑われました。丁度研修で、病院を転々と変わってた時期だったのね。あ、そうなのか(苦笑)。
結婚おめでとう! お幸せにね〜 の声に押されて、一足先に二次会を後にしたのですが、とても心が温かくなったひと時でした。
残念ながら出席できなかった友人たちもいましたが、きっとどこかで元気にしているのだと信じます。
また会いたいね。
2009年04月13日
春爛漫
暖かくなりました。
つい先日までは、曇りや雨ではぐ〜っと気温が下がったのですが、さすがにもうそんなこともなく、それどころか日中の車内は、暑いくらい。
僕の住む街ではこの水曜日まで、毎年恒例のチューリップ祭りが開かれています。オランダ風車のもと、色とりどりのチューリップが咲き乱れている様が、近くを通る電車の中からも見て取れます。
桜は散りかけていますが、そろそろ新緑も見られるようになって、良い季節になりましたね。
先週は入学式ラッシュで、僕の子供達にも小学校や中学校・高校、あるいは幼稚園に保育園(笑)と、やはり入学式を迎えているピカピカの1年生が少なくありません。
そういえばマイミクさんの息子さんも、今年小学校入学でしたね。おめでとうございます。
お陰で外来では、学校に提出するアレルギー指導書をせっせと作成するハメになっています。
微妙に中途半端な指導書で、少しばかりため息です。
新しい会計年度が始まり、公私の公は雑用てんこもりです。
科学研究費がらみの用件は雑用と言っては失礼ですが、これもまた昨年度の収支報告だの、今年度の諸書類の準備だの大忙しです。
同僚が1人いなくなって、新しい人が1人来て、職場内の役割分担は色々と調整が必要ですし、院内をみまわすとこれまた委員会の目白押し。
頑張ったふりしてサボってます(苦笑)。
でも、サボってるの、ばれてるだろうなぁ(爆)。
燃え尽きてきてますので、残り火をわずかに灯して、あともう一頑張り?
公私の私は、これがもう最優先・最重要課題(笑)。
6月の初めに式を挙げることになりました。いや、べつにできちゃった婚じゃないんですが、夏場を避けるとすると、ここで結婚しないと次は9月だって? ここまで来たら、早めに確定しておかなくちゃ(爆)。
かくして毎週末、リッツカールトンで打ち合わせだの、引き出物や衣装を決めたりだの、そういえば招待状も送らなくちゃ、というわけで、忙殺されています。決めなきゃいけないこと、沢山あるんですよね。
会う人誰も彼も、「今が一番良いときだよね〜」と仰るんですが、てことはなんですか、結婚した後よりも、今の方が良いと? まぁ、なんとなく分かるような気がする…?? (あ、怒られそうだな 笑)
二次会の会場探しも自分達でしているあたり、どうなのよぉ、という突っ込みも入りそうですが、楽しいからいっか。
旅仲間の皆さんは、お誘いしたら来てくれるのかしらん?
ちょっと落ち込んだり疲れたり燃え尽きたりしてますが、なあに、ちいさなはずれは当たりの貯金、いつかはどーんと大当たり(笑)。
次の一文は恥ずかしいから書かない(爆)。
世間ではそろそろ散ってる桜ですが、僕の周辺ではまだまだ咲き乱れているようです(笑)。
つい先日までは、曇りや雨ではぐ〜っと気温が下がったのですが、さすがにもうそんなこともなく、それどころか日中の車内は、暑いくらい。
僕の住む街ではこの水曜日まで、毎年恒例のチューリップ祭りが開かれています。オランダ風車のもと、色とりどりのチューリップが咲き乱れている様が、近くを通る電車の中からも見て取れます。
桜は散りかけていますが、そろそろ新緑も見られるようになって、良い季節になりましたね。
先週は入学式ラッシュで、僕の子供達にも小学校や中学校・高校、あるいは幼稚園に保育園(笑)と、やはり入学式を迎えているピカピカの1年生が少なくありません。
そういえばマイミクさんの息子さんも、今年小学校入学でしたね。おめでとうございます。
お陰で外来では、学校に提出するアレルギー指導書をせっせと作成するハメになっています。
微妙に中途半端な指導書で、少しばかりため息です。
新しい会計年度が始まり、公私の公は雑用てんこもりです。
科学研究費がらみの用件は雑用と言っては失礼ですが、これもまた昨年度の収支報告だの、今年度の諸書類の準備だの大忙しです。
同僚が1人いなくなって、新しい人が1人来て、職場内の役割分担は色々と調整が必要ですし、院内をみまわすとこれまた委員会の目白押し。
頑張ったふりしてサボってます(苦笑)。
でも、サボってるの、ばれてるだろうなぁ(爆)。
燃え尽きてきてますので、残り火をわずかに灯して、あともう一頑張り?
公私の私は、これがもう最優先・最重要課題(笑)。
6月の初めに式を挙げることになりました。いや、べつにできちゃった婚じゃないんですが、夏場を避けるとすると、ここで結婚しないと次は9月だって? ここまで来たら、早めに確定しておかなくちゃ(爆)。
かくして毎週末、リッツカールトンで打ち合わせだの、引き出物や衣装を決めたりだの、そういえば招待状も送らなくちゃ、というわけで、忙殺されています。決めなきゃいけないこと、沢山あるんですよね。
会う人誰も彼も、「今が一番良いときだよね〜」と仰るんですが、てことはなんですか、結婚した後よりも、今の方が良いと? まぁ、なんとなく分かるような気がする…?? (あ、怒られそうだな 笑)
二次会の会場探しも自分達でしているあたり、どうなのよぉ、という突っ込みも入りそうですが、楽しいからいっか。
旅仲間の皆さんは、お誘いしたら来てくれるのかしらん?
ちょっと落ち込んだり疲れたり燃え尽きたりしてますが、なあに、ちいさなはずれは当たりの貯金、いつかはどーんと大当たり(笑)。
次の一文は恥ずかしいから書かない(爆)。
世間ではそろそろ散ってる桜ですが、僕の周辺ではまだまだ咲き乱れているようです(笑)。
2009年03月31日
Angel
NICU(新生児集中治療室)で大切に可愛がられて育っていた子が、今朝旅立ちました。
600g弱の未熟児で生まれた彼女は、最初の危険を乗り越えたところから、なんだかよく分からない病気に苦しめられ続けてきました。
抱えている2つの問題のうち1つは、すごく特殊なミルクアレルギーだろうと分かったのですが、もう1つの原因は最後まで分かりませんでした。
そうならないで欲しい、というみんなの願いも届かず、今朝方、大きく泣いたあと静かに心臓が止まり、どんな薬にも反応せず、どんな呼びかけにも反応せず、10ヶ月と1日の生涯を閉じました。体重の増えない子でしたが、最後に体重を量ったら1622gとはじめて1600gを超えていました。
天使の腕の中でここから高く飛び立つ。
時々NICUに長く居座る子がいます。
大抵は大きな問題を抱えているために、NICUから外に(一般の小児病棟に)移れないわけですが、そしてそれがNICU不足に拍車をかけると問題になるのですが、えてしてこうした長期入院の子供たちは、病棟スタッフのアイドルになります。
ママとパパの代わりに愛情を注ぎ、世話をし、まさに「育てる」わけですから、そこに生まれる感情はビジネスライクなものよりも、両親・家族に近いものになるのでしょう。
こうした天使ちゃんたちは、時にはママよりもスタッフになついていたりして、それはそれで切ないのですが、一方どんなに愛情を注いでも、ママが面会に来ると、それまでの不安定な状態がいきなり落ち着いたりするあたりは、これもまた切ない。
そうやって愛情を注いだ子が大きくなって、問題を乗り越え、無事に巣立って行くのなら何よりなのですが、時には頑張って頑張って、頑張りきれなかった子もいるわけです。
それが突然であればあるほど、愛情を注いだスタッフの喪失感は両親と同様とても大きいのですが、実はもっと切ないのは、その涙の中で隣の子に笑顔を向けなくてはならない一瞬があることかもしれません。
家族と同じ痛みを抱えながら、家族と同じ様には悲しんでいられない心は、悲しみの処理をできずによりどころを求めてさ迷うのでした。
昔「研修医の涙」という一文を書いたことがあります。自分の心を守るために、いつでも一歩ひいたところに立っているはずが、時には醒めた距離を置ききれずにのめりこんでしまう受け持ちの子供がいるのも事実で、今朝のようにそんな子を失うと心が折れます。
それでも、暗く冷たい部屋から、終わりの無い恐れから、苦しみから、天使の腕に抱かれて天使が飛び立って行くのだ、と思えれば、少しは心がやすまるのですが。
「なにするのよ〜」とキョロっと主治医をにらむ顔や、あやしたときに見せる一瞬の笑顔を胸に、さぁ、僕も帰ろうかな。
600g弱の未熟児で生まれた彼女は、最初の危険を乗り越えたところから、なんだかよく分からない病気に苦しめられ続けてきました。
抱えている2つの問題のうち1つは、すごく特殊なミルクアレルギーだろうと分かったのですが、もう1つの原因は最後まで分かりませんでした。
そうならないで欲しい、というみんなの願いも届かず、今朝方、大きく泣いたあと静かに心臓が止まり、どんな薬にも反応せず、どんな呼びかけにも反応せず、10ヶ月と1日の生涯を閉じました。体重の増えない子でしたが、最後に体重を量ったら1622gとはじめて1600gを超えていました。
天使の腕の中でここから高く飛び立つ。
時々NICUに長く居座る子がいます。
大抵は大きな問題を抱えているために、NICUから外に(一般の小児病棟に)移れないわけですが、そしてそれがNICU不足に拍車をかけると問題になるのですが、えてしてこうした長期入院の子供たちは、病棟スタッフのアイドルになります。
ママとパパの代わりに愛情を注ぎ、世話をし、まさに「育てる」わけですから、そこに生まれる感情はビジネスライクなものよりも、両親・家族に近いものになるのでしょう。
こうした天使ちゃんたちは、時にはママよりもスタッフになついていたりして、それはそれで切ないのですが、一方どんなに愛情を注いでも、ママが面会に来ると、それまでの不安定な状態がいきなり落ち着いたりするあたりは、これもまた切ない。
そうやって愛情を注いだ子が大きくなって、問題を乗り越え、無事に巣立って行くのなら何よりなのですが、時には頑張って頑張って、頑張りきれなかった子もいるわけです。
それが突然であればあるほど、愛情を注いだスタッフの喪失感は両親と同様とても大きいのですが、実はもっと切ないのは、その涙の中で隣の子に笑顔を向けなくてはならない一瞬があることかもしれません。
家族と同じ痛みを抱えながら、家族と同じ様には悲しんでいられない心は、悲しみの処理をできずによりどころを求めてさ迷うのでした。
昔「研修医の涙」という一文を書いたことがあります。自分の心を守るために、いつでも一歩ひいたところに立っているはずが、時には醒めた距離を置ききれずにのめりこんでしまう受け持ちの子供がいるのも事実で、今朝のようにそんな子を失うと心が折れます。
それでも、暗く冷たい部屋から、終わりの無い恐れから、苦しみから、天使の腕に抱かれて天使が飛び立って行くのだ、と思えれば、少しは心がやすまるのですが。
「なにするのよ〜」とキョロっと主治医をにらむ顔や、あやしたときに見せる一瞬の笑顔を胸に、さぁ、僕も帰ろうかな。
2009年02月16日
天までとどけ
上層階に上って行くにしたがって明るくなってくる不思議な照明を持つエレベーターが止まると、目の前に空中庭園のようなロビーが広がります。
天気の良い午後ですから、自然光が降り注ぐロビーはとても明るく、足元に新宿の街並みを眺めながら、大勢のお客さんたちが午後のお茶を楽しんでいました。
ライブラリーを抜けた奥、ちょこっとテーブルで面談中、という雰囲気のフロントでチェックインを済ませると、滞在中の全てのスケジュールが提示されました。そういえばチェックインのときに、スパや食事の予約まで確認されたこと、今までにあったかなぁ。
「気合入れて泊まるならどっち?」と旅仲間に質問したら、彼女は半ば呆れながら「そりゃもちろんこっち」と即答したのでした。う〜ん、そうか。ラグジュアリー・ホテルの中でも、かなり気合入れないと泊まれない値段設定のホテルなんだけどなぁ…
それでも "My Cristal Valentine" なんていうプロモーションがあるので、福岡に遊びに行った際、ホテルのコンシェルジェに頼んでパークビュールームの予約を入れてみたのでした。ついでに、これが肝心のバレンタイン・特別ディナーも予約。でももう3週間前ですから予約は一杯で、窓側の席なんて望むべくもない。
まぁ、普通ならそうなんでしょうが、そこで引き下がれない理由がある(笑)。
福岡からの帰り、少し早めの便になったのを幸いに、そのまま新宿へ直行しました。
対応してくれたコンシェルジェは、ブロンドのとてもかわいい女の子でした。流暢に日本語を話す彼女は、僕の相談を聞くとわがことのように盛り上がる。それは楽しそうで、相談しているこちらまで、なんだか緊張はどこへやら、一緒に楽しんでしまいました。うん、確かにこのホテル、良いかも。
はやりの「婚活」(=結婚活動)で出会った2人は、お試し期間を過ぎて進むなら、その先は多分よほどのことがない限り結婚が待っているわけで、進まないと決めるなら別れるしかない。そんな条件に縛られているのですが、さて、ではこの人で良いとどこで決めるのでしょう。
先日の雑文についたコメントや友人達によれば、その意思決定の原動力は「勢い」のようですが、結婚を前提に出会った2人に、そんな勢いがつくものなのか、かなり疑問(と不安)に感じたのは事実でした。
「運命の人を探して」という本の中で主人公は、それこそ沢山の人と出会っていくのですが、やはり「これだ」という決め手にかけるまま、運命の人を探す旅の中を彷徨っていました。最後に決めた人との出会いは、決して運命的な出会いではなく、ふと気づいたら隣にいた、といった印象なのですが、そんな出会い方というのは、やはりこれも運命という奇跡なのでしょうか。どうも1人が長いと、頭でっかちになっていけない(苦笑)。
僕自身はこの婚活の中で、「運命の人」と思う出会いがあったものの、これが予想外の結末に終わって、落ち込むわ、自信はなくすわで、やはり運命の人なんていないんじゃないか、とさえ思えたのでした。
出逢いはいつでも偶然の風の中。
僕は1歳違いで彼女の対象外だったし、僕は僕で迷いながら彷徨っている最中。そんな2人が出会ったのは、やはり小さな偶然の重なりの上でした。
迷いはいつまでも解消されるわけでもなく、時間だけが過ぎていったのですが、ふと気づくと毎朝届くメールを心待ちにしている自分がいました。
相手への夢や希望はお互いに持っていたのですけれど、譲れないと思う条件は、実はそれほどの意味を持たないのかもしれない。それに気付いた時にはすでに、答えが出ていたのかもしれません。
約束の時間に訪れた最上階のレストランでは、事前の情報とは違って、一段低くなったレストランの一番奥、2面を窓に接した一番静かな席に案内されました。聖バレンタインの夜、レストランは満席でしたけれど、確かにこの席なら文句はありません。
たわいもないおしゃべりと美味しい食事を楽しんだ最後、デザートを運んでくるイケメンのボーイさんが、彼女の肩越しに僕にアイコンタクトを送ってきました。だいじょうぶ。心の準備はできているから。
そっと彼女の前に置かれたデザートには、ホワイトチョコレートの板に、細いきれいなチョコレートの文字が並んでいました。
"Would you marry me?"
天気の良い午後ですから、自然光が降り注ぐロビーはとても明るく、足元に新宿の街並みを眺めながら、大勢のお客さんたちが午後のお茶を楽しんでいました。
ライブラリーを抜けた奥、ちょこっとテーブルで面談中、という雰囲気のフロントでチェックインを済ませると、滞在中の全てのスケジュールが提示されました。そういえばチェックインのときに、スパや食事の予約まで確認されたこと、今までにあったかなぁ。
「気合入れて泊まるならどっち?」と旅仲間に質問したら、彼女は半ば呆れながら「そりゃもちろんこっち」と即答したのでした。う〜ん、そうか。ラグジュアリー・ホテルの中でも、かなり気合入れないと泊まれない値段設定のホテルなんだけどなぁ…
それでも "My Cristal Valentine" なんていうプロモーションがあるので、福岡に遊びに行った際、ホテルのコンシェルジェに頼んでパークビュールームの予約を入れてみたのでした。ついでに、これが肝心のバレンタイン・特別ディナーも予約。でももう3週間前ですから予約は一杯で、窓側の席なんて望むべくもない。
まぁ、普通ならそうなんでしょうが、そこで引き下がれない理由がある(笑)。
福岡からの帰り、少し早めの便になったのを幸いに、そのまま新宿へ直行しました。
対応してくれたコンシェルジェは、ブロンドのとてもかわいい女の子でした。流暢に日本語を話す彼女は、僕の相談を聞くとわがことのように盛り上がる。それは楽しそうで、相談しているこちらまで、なんだか緊張はどこへやら、一緒に楽しんでしまいました。うん、確かにこのホテル、良いかも。
はやりの「婚活」(=結婚活動)で出会った2人は、お試し期間を過ぎて進むなら、その先は多分よほどのことがない限り結婚が待っているわけで、進まないと決めるなら別れるしかない。そんな条件に縛られているのですが、さて、ではこの人で良いとどこで決めるのでしょう。
先日の雑文についたコメントや友人達によれば、その意思決定の原動力は「勢い」のようですが、結婚を前提に出会った2人に、そんな勢いがつくものなのか、かなり疑問(と不安)に感じたのは事実でした。
「運命の人を探して」という本の中で主人公は、それこそ沢山の人と出会っていくのですが、やはり「これだ」という決め手にかけるまま、運命の人を探す旅の中を彷徨っていました。最後に決めた人との出会いは、決して運命的な出会いではなく、ふと気づいたら隣にいた、といった印象なのですが、そんな出会い方というのは、やはりこれも運命という奇跡なのでしょうか。どうも1人が長いと、頭でっかちになっていけない(苦笑)。
僕自身はこの婚活の中で、「運命の人」と思う出会いがあったものの、これが予想外の結末に終わって、落ち込むわ、自信はなくすわで、やはり運命の人なんていないんじゃないか、とさえ思えたのでした。
出逢いはいつでも偶然の風の中。
僕は1歳違いで彼女の対象外だったし、僕は僕で迷いながら彷徨っている最中。そんな2人が出会ったのは、やはり小さな偶然の重なりの上でした。
迷いはいつまでも解消されるわけでもなく、時間だけが過ぎていったのですが、ふと気づくと毎朝届くメールを心待ちにしている自分がいました。
相手への夢や希望はお互いに持っていたのですけれど、譲れないと思う条件は、実はそれほどの意味を持たないのかもしれない。それに気付いた時にはすでに、答えが出ていたのかもしれません。
約束の時間に訪れた最上階のレストランでは、事前の情報とは違って、一段低くなったレストランの一番奥、2面を窓に接した一番静かな席に案内されました。聖バレンタインの夜、レストランは満席でしたけれど、確かにこの席なら文句はありません。
たわいもないおしゃべりと美味しい食事を楽しんだ最後、デザートを運んでくるイケメンのボーイさんが、彼女の肩越しに僕にアイコンタクトを送ってきました。だいじょうぶ。心の準備はできているから。
そっと彼女の前に置かれたデザートには、ホワイトチョコレートの板に、細いきれいなチョコレートの文字が並んでいました。
"Would you marry me?"
2009年01月14日
大空と大地の中で
「今年は来れるのかい?」
大学時代を過ごした街の、大学とは全く無関係の友人達から届く毎年の年賀状にはどれもこれも、必ずこの一言が書き添えられていました。
毎年成人式の日に開かれる新年会。成人の日がハッピーマンデーに変わってからは、その前日の日曜日に開かれるようになったのですが、いつか必ず、と思いながら、休みが取れずに欠席し続けていました。
振り返ってみればこの前顔を出したのは、神戸大震災の年でしたから、もう14年になります。
2年前には羽田まで行きながら、旭川行き最終便に乗り損ねたこともあって、今年こそ、と心に決めていました。病棟にも根回しをして準備していたら、直前に受け持っている赤ちゃんが急変。つくづく縁がないのかなぁ、と暗澹たる気持ちになったのですが、それでも何とか持ち直しかけてくれたのを幸い、思い切って旅立ちました。
千歳は結構雪が降っていて、前便はかなりの遅れがあったようです。僕らの便は、滑走路の除雪で折り返し便が30分遅れたため、ドミノ倒し的にディレイしたものの、何とか無事に到着。札幌で買い物をして旭川にたどり着いたのは夜の8時過ぎでした。
久しぶりの旭川。前回帰ったのは三浦綾子さんのご葬儀のときでしたから、9年前。駅前はこの時期にしては雪が少なく、思ったよりも暖かかったのは、やはり温暖化の影響なのでしょうか。
夕食は「大舟」。学生時代に何度かここでご馳走になりました。きんきの煮つけが美味しいのですが、当時はメニューに「時価」と書かれていました。貧乏学生には敷居の高い居酒屋でしたから、ここで夕食が食べられるのは、ちょっと幸せ。
翌日は、今や日本中でもっとも有名な動物園となった、旭山動物園を訪れました。
僕がいた頃は、限りなくつぶれかけた動物園で、冬季の半年間は閉園していました。当時飼育係をしていた、今は絵本作家として活躍中の友人、あべ弘士さんに誘われて、冬の動物園を訪れたことがあります。
ペンギンもホッキョクグマも、それは元気いっぱいで、「こんなに元気なら、見せてあげたらみんな喜ぶだろうに」とつぶやくと、「こんな、なまら寒い中、見に来る人なんていないっしょ。」 まぁ、そうですけどね。
それが今や、厳寒のさなかだというのに、ペンギンパレード見たさに結構な数の入場者があるようです。
動物園は僕が知るものとはまったく姿を変え、確かに寒さを忘れる楽しさでした。オランウータンの握力に驚いたり、アザラシのひょうきんさに笑ったり。ペンギンパレードも、追っかけをして3ヶ所で眺めてしまうほどのカワイさでした。すっかり盛り上がって、ホッキョクグマ見るの忘れましたが。
今度は夏に行ってみたいかな。
夕刻、わざわざ動物園まで迎えに来てくれた友人と新年会の会場に行ってみると、そこには懐かしい顔・顔…
みんな変わらないなぁ、と驚いたのですが、僕も全く変わらない、とあちこちで驚嘆の声があがっていました。それって、ほめられてるんだよね?
ついこの間不整脈で死に掛けた友人がいます。事故で致死量をはるかに超えた一酸化炭素中毒を起こし、この友人に見つけてもらって命拾いした夫婦がいます。たまたま他の検査から早期胃がんが見つかって手術をした友人がいます。漏電から火事になって、呉服会社が全焼した友人がいます。この14年の間に亡くなった友人もいます。相変わらず苗字が変わらない友人も少なからずいます。仕事を辞めてお母さんの介護をしている友人は、さすがに顔を出す余裕がなかったようです。
みんなそれぞれにそれぞれの事情を抱えて、それでもにこやかに、穏やかに、笑いあっていました。
多分、みんな年をとっているはずなのだけれど、なんだか10余年前と少しも変わらない。そのことに安心しました。
以前書いたことがありますが、この友人たちに出会えたことは幸せでした。
多くの友人は僕よりも一回り年上で、もちろん医学の世界とは縁も無い人たちばかり。
僕はなぜか「医大生らしくない医大生」なのだそうで、みんなの弟として、随分かわいがってもらいました。
春は花菖蒲観賞から始まって、5月には山菜取りをして斉藤牧場の丸太小屋で天ぷらパーティー、7月はパリ祭のシャンソンコンサート、秋は紅葉狩りに十勝岳温泉・凌雲閣の露天風呂、冬は雪の村、とまぁ、1年中何かしらイベントを起こして遊んでいました。
いくつかのイベントは、かなり大規模なものに発展しました。そういえば「雪の村」は、忠別川の河原から旭山に舞台を移していましたね。
僕が来るなら、と、今や准教授(助教授)になった大学の大先輩が、二次会に顔を出してくれました。奥様が僕らの仲間だったことから、大先輩もお仲間入りしたのですが、そういえば婚約者だと初めて紹介されたのは、初回「雪の村」の開場初日でしたっけ。
そんな、ちょっと遠くなってしまった思い出を、ぽつりぽつり思い出しながら説明できたのも幸せでした。
翌日。
飲んだら飲むウコンの力が効いたのか、相変わらず二日酔い知らず。
ホテルの朝食をパスして、まず「蜂屋創業店」のラーメン。友人たちは味が落ちた、と言ってましたが、いやいや、なかなか。なんだか懐かしい。
そして荷物を旭川駅に預けて、バスで大学に向かいました。
卒業以来初めて帰る母校。建物が増えていたり工事をしていたり、内装も随分良くなりました。
大学病院・臨床講義棟と、基礎医学の実験棟とを結ぶ細長い渡り廊下は、通称「シベリア回廊」と呼ばれました。北国の大学ですから、全ての建物は渡り廊下でつながり、一歩も屋外に出る必要が無いのですが、特にこの「シベリア回廊」は、学生にとってとても象徴的な渡り廊下でした。
真冬でも暖房がめったに入らない寒い廊下。窓からは時に雪が吹き込んで、床上に吹き溜まりができていた廊下。
でもこの廊下を病院側に渡るためには、大学4年のバリア試験を、全科目再試無しの一発合格しなくてはなりませんでした。その重圧と覚えるべき事項の膨大さは想像以上で、それだけにこの試験に無事合格して、晴れてこの廊下を渡ることは、学生たちの憧れでした。
久しぶりに「シベリア回廊」を渡ってみると思いのほか寒くは無かったのは、廊下の両端の扉が暖房の入った建物に向けて開け放されていたからなのか、それとも当時も本当は寒くなかったのか。どうなんでしょうか。
大学からの帰りに、かつての下宿を訪れてみました。
もはや人手に渡り、まったく別の生活が営まれている建物は、古くなったものの卒業の頃とあまり変わっていないようでした。
遠距離に住む友人に電話をするため、寒い冬の夜、真っ暗な中を、オーバーとマフラーと手袋で防寒して、100円玉を握り締めてもぐりこんだ、近くの公園の電話ボックス、今でも残っていました。
千歳空港に戻る列車は、「旭山動物園号」で始まりました。
夕暮れの大平原の中を雪を舞い上げて走る列車は、意外と乗客が少なく、低くうなるモーターと、時々聞こえる鋭い警笛だけが音の全て。
心地良い疲れの中で、ふと気付いてみると、「あの頃は…」という話ばかりをしている自分がいました。
振り返るには、まだ若い。
確かにそうなんですが、むしろ今回の旅は、振り返るための旅だったような気もします。
色々なことに悩み、苦しみ、泣き、笑い、決して精一杯とは言えないけれど、それでもそれなりに頑張って生きた日々を思い返す旅は、多忙とストレスに心を削られる今の自分にとって、まさにこごえた両手にふきかける息だったのかもしれません。
少し心と体が暖まって、さぁ、後は目の前の幸せをしっかりつかむだけなんでしょうか。
次にこの大空と大地の中に戻ってくるときには…
大学時代を過ごした街の、大学とは全く無関係の友人達から届く毎年の年賀状にはどれもこれも、必ずこの一言が書き添えられていました。
毎年成人式の日に開かれる新年会。成人の日がハッピーマンデーに変わってからは、その前日の日曜日に開かれるようになったのですが、いつか必ず、と思いながら、休みが取れずに欠席し続けていました。
振り返ってみればこの前顔を出したのは、神戸大震災の年でしたから、もう14年になります。
2年前には羽田まで行きながら、旭川行き最終便に乗り損ねたこともあって、今年こそ、と心に決めていました。病棟にも根回しをして準備していたら、直前に受け持っている赤ちゃんが急変。つくづく縁がないのかなぁ、と暗澹たる気持ちになったのですが、それでも何とか持ち直しかけてくれたのを幸い、思い切って旅立ちました。
千歳は結構雪が降っていて、前便はかなりの遅れがあったようです。僕らの便は、滑走路の除雪で折り返し便が30分遅れたため、ドミノ倒し的にディレイしたものの、何とか無事に到着。札幌で買い物をして旭川にたどり着いたのは夜の8時過ぎでした。
久しぶりの旭川。前回帰ったのは三浦綾子さんのご葬儀のときでしたから、9年前。駅前はこの時期にしては雪が少なく、思ったよりも暖かかったのは、やはり温暖化の影響なのでしょうか。
夕食は「大舟」。学生時代に何度かここでご馳走になりました。きんきの煮つけが美味しいのですが、当時はメニューに「時価」と書かれていました。貧乏学生には敷居の高い居酒屋でしたから、ここで夕食が食べられるのは、ちょっと幸せ。
翌日は、今や日本中でもっとも有名な動物園となった、旭山動物園を訪れました。
僕がいた頃は、限りなくつぶれかけた動物園で、冬季の半年間は閉園していました。当時飼育係をしていた、今は絵本作家として活躍中の友人、あべ弘士さんに誘われて、冬の動物園を訪れたことがあります。
ペンギンもホッキョクグマも、それは元気いっぱいで、「こんなに元気なら、見せてあげたらみんな喜ぶだろうに」とつぶやくと、「こんな、なまら寒い中、見に来る人なんていないっしょ。」 まぁ、そうですけどね。
それが今や、厳寒のさなかだというのに、ペンギンパレード見たさに結構な数の入場者があるようです。
動物園は僕が知るものとはまったく姿を変え、確かに寒さを忘れる楽しさでした。オランウータンの握力に驚いたり、アザラシのひょうきんさに笑ったり。ペンギンパレードも、追っかけをして3ヶ所で眺めてしまうほどのカワイさでした。すっかり盛り上がって、ホッキョクグマ見るの忘れましたが。
今度は夏に行ってみたいかな。
夕刻、わざわざ動物園まで迎えに来てくれた友人と新年会の会場に行ってみると、そこには懐かしい顔・顔…
みんな変わらないなぁ、と驚いたのですが、僕も全く変わらない、とあちこちで驚嘆の声があがっていました。それって、ほめられてるんだよね?
ついこの間不整脈で死に掛けた友人がいます。事故で致死量をはるかに超えた一酸化炭素中毒を起こし、この友人に見つけてもらって命拾いした夫婦がいます。たまたま他の検査から早期胃がんが見つかって手術をした友人がいます。漏電から火事になって、呉服会社が全焼した友人がいます。この14年の間に亡くなった友人もいます。相変わらず苗字が変わらない友人も少なからずいます。仕事を辞めてお母さんの介護をしている友人は、さすがに顔を出す余裕がなかったようです。
みんなそれぞれにそれぞれの事情を抱えて、それでもにこやかに、穏やかに、笑いあっていました。
多分、みんな年をとっているはずなのだけれど、なんだか10余年前と少しも変わらない。そのことに安心しました。
以前書いたことがありますが、この友人たちに出会えたことは幸せでした。
多くの友人は僕よりも一回り年上で、もちろん医学の世界とは縁も無い人たちばかり。
僕はなぜか「医大生らしくない医大生」なのだそうで、みんなの弟として、随分かわいがってもらいました。
春は花菖蒲観賞から始まって、5月には山菜取りをして斉藤牧場の丸太小屋で天ぷらパーティー、7月はパリ祭のシャンソンコンサート、秋は紅葉狩りに十勝岳温泉・凌雲閣の露天風呂、冬は雪の村、とまぁ、1年中何かしらイベントを起こして遊んでいました。
いくつかのイベントは、かなり大規模なものに発展しました。そういえば「雪の村」は、忠別川の河原から旭山に舞台を移していましたね。
僕が来るなら、と、今や准教授(助教授)になった大学の大先輩が、二次会に顔を出してくれました。奥様が僕らの仲間だったことから、大先輩もお仲間入りしたのですが、そういえば婚約者だと初めて紹介されたのは、初回「雪の村」の開場初日でしたっけ。
そんな、ちょっと遠くなってしまった思い出を、ぽつりぽつり思い出しながら説明できたのも幸せでした。
翌日。
飲んだら飲むウコンの力が効いたのか、相変わらず二日酔い知らず。
ホテルの朝食をパスして、まず「蜂屋創業店」のラーメン。友人たちは味が落ちた、と言ってましたが、いやいや、なかなか。なんだか懐かしい。
そして荷物を旭川駅に預けて、バスで大学に向かいました。
卒業以来初めて帰る母校。建物が増えていたり工事をしていたり、内装も随分良くなりました。
大学病院・臨床講義棟と、基礎医学の実験棟とを結ぶ細長い渡り廊下は、通称「シベリア回廊」と呼ばれました。北国の大学ですから、全ての建物は渡り廊下でつながり、一歩も屋外に出る必要が無いのですが、特にこの「シベリア回廊」は、学生にとってとても象徴的な渡り廊下でした。
真冬でも暖房がめったに入らない寒い廊下。窓からは時に雪が吹き込んで、床上に吹き溜まりができていた廊下。
でもこの廊下を病院側に渡るためには、大学4年のバリア試験を、全科目再試無しの一発合格しなくてはなりませんでした。その重圧と覚えるべき事項の膨大さは想像以上で、それだけにこの試験に無事合格して、晴れてこの廊下を渡ることは、学生たちの憧れでした。
久しぶりに「シベリア回廊」を渡ってみると思いのほか寒くは無かったのは、廊下の両端の扉が暖房の入った建物に向けて開け放されていたからなのか、それとも当時も本当は寒くなかったのか。どうなんでしょうか。
大学からの帰りに、かつての下宿を訪れてみました。
もはや人手に渡り、まったく別の生活が営まれている建物は、古くなったものの卒業の頃とあまり変わっていないようでした。
遠距離に住む友人に電話をするため、寒い冬の夜、真っ暗な中を、オーバーとマフラーと手袋で防寒して、100円玉を握り締めてもぐりこんだ、近くの公園の電話ボックス、今でも残っていました。
千歳空港に戻る列車は、「旭山動物園号」で始まりました。
夕暮れの大平原の中を雪を舞い上げて走る列車は、意外と乗客が少なく、低くうなるモーターと、時々聞こえる鋭い警笛だけが音の全て。
心地良い疲れの中で、ふと気付いてみると、「あの頃は…」という話ばかりをしている自分がいました。
振り返るには、まだ若い。
確かにそうなんですが、むしろ今回の旅は、振り返るための旅だったような気もします。
色々なことに悩み、苦しみ、泣き、笑い、決して精一杯とは言えないけれど、それでもそれなりに頑張って生きた日々を思い返す旅は、多忙とストレスに心を削られる今の自分にとって、まさにこごえた両手にふきかける息だったのかもしれません。
少し心と体が暖まって、さぁ、後は目の前の幸せをしっかりつかむだけなんでしょうか。
次にこの大空と大地の中に戻ってくるときには…
2009年01月01日
たいせつなひと
「先生、幸せそうに寝てましたね」
院内PHSの呼び出し音にびっくりして飛び起きた僕を見て、隣の席の後輩君が笑っていました。
膝の上に日帰り温泉のガイドブックを広げたまま、医局の自席の椅子でウトウト寝ていたようです。
「どこ行くんですか? 温泉?」
疲れたまってるからねぇ。ゆっくり温泉につかりたいなぁ。
そんなことをのんびりしゃべっていた、当直明け、仕事納めの昼過ぎ。
でもどうせなら1泊してみたい気もする、と何気なく楽天トラベルを検索していたら、たった1つ、箱根湯本のお宿が、当日だというのに宿泊可能だと表示されました。部屋付き露天風呂のあるお部屋。あ、いいなぁ。そう思った瞬間、思わず、ぽちっとな、してしまいました。
神奈川に住んでいた頃は、箱根なんて目と鼻の先ですから、遠いと思うことはありませんでした。
けれど千葉の片田舎にいると、なんとなく遠い気がする。
それでも思い切って車を走らせてみると、途中寄り道しても2時間ちょっとで着いてしまいました。案外近いじゃない。
着いたのが8時頃でしたから、仲居さんは「すぐお食事の支度をしますね。そのあいだ、まず一風呂いかがですか?」とおっしゃる。えぇとつまり、邪魔だからお風呂にでも入っていろ、ということなんでしょうか(笑)。
外は少しだけ寒かったのですが、暗闇の中に灯りともる露天風呂に身体を沈めると、ぬるくもなく熱くもなく、の絶妙な湯加減で、思わず深いため息をついてしまいました。
食事を堪能して、また一風呂。部屋付きだと思い立ったら気軽に入れるのが嬉しいですね。長湯して少しのぼせそうでしたが、さらにまた寝る前と、翌朝起きて一風呂。もう、ここぞとばかりに入りまくってしまいました。
お風呂からはこれも部屋付きのお庭が見渡せて、綺麗にライトアップされていました。どちらかというと明るく照らされているので幽玄とまではいかないものの、お風呂に入って眺める木々は、癒し効果を倍増してくれます。
翌朝は、そのまま帰ってしまってはつまらないので、久々に箱根散策と決め込みました。
車をお宿において箱根湯本まで出て、箱根フリーパスを手に入れ、登山電車で強羅まで。さらにケーブルカーとロープウェイを乗り継いで大涌谷。
なつかしの温泉卵(黒たまご)を買おうと思ったら、5個で500円ばら売りなし、だそう。かつては2個入りだったと思うのですが、商魂たくましいですねぇ。こんなに沢山要らないので悩んでいたのですが、丁度目の前に、やはりお財布を出しながら悩んでいたカップルがいたので、2個原価でお譲りしました(笑)。残りなら食べられる(爆)。
ロープウェイで桃源台港まで降りて、海賊船に乗って元箱根まで。船長さんはしきりに双眼鏡で湖面をのぞいているのですが、その心配の種は小さなボート達。この寒空の中、スワンボートに乗っているカップルが少なくなかったのは意外でした。寒くないの? アツアツなのかぁ(笑)
おそばを食べて玉村豊男ライフアートミュージアムなどをのぞいていたら、あたりはすっかり夕暮れ。
バスでお宿に戻り、小田原で相模湾の海の幸のお寿司をいただいて帰路についたのでした。
このところずっと温泉に憧れていましたので、久々に堪能して満足です。食べるものも美味しかったし。
心残りはスパでマッサージしてもらい損ねたことなのですが、急に思い立ったにしては、充分楽しく、癒された小旅行でした。
年末の箱根路は、カップルと子連れの家族が半々くらい。たまに同性の友人グループも見かけましたが、考えてみれば紫陽花も紅葉もないこんな年末に、友人同士で来る場所ではないかもしれませんね。
暮れていく湖面を眺めながら、幾組かのカップルが手をつないで歩いていました。
そのシルエットは、ちょっと素敵でした。
つないだ手のぬくもりって、とても温かいですね。
たいせつなひとの体温を感じられて、心も温かくなります。
その手を離さないで。
哀しみのほとりで出会った、その温かい手を。
星や月や花や鳥や海や空よりも際だっていて、愛おしくて、たいせつなひと。
昨年は、素敵な時間をありがとうございました。
今年も皆様にとって、幸せな1年でありますように。
院内PHSの呼び出し音にびっくりして飛び起きた僕を見て、隣の席の後輩君が笑っていました。
膝の上に日帰り温泉のガイドブックを広げたまま、医局の自席の椅子でウトウト寝ていたようです。
「どこ行くんですか? 温泉?」
疲れたまってるからねぇ。ゆっくり温泉につかりたいなぁ。
そんなことをのんびりしゃべっていた、当直明け、仕事納めの昼過ぎ。
でもどうせなら1泊してみたい気もする、と何気なく楽天トラベルを検索していたら、たった1つ、箱根湯本のお宿が、当日だというのに宿泊可能だと表示されました。部屋付き露天風呂のあるお部屋。あ、いいなぁ。そう思った瞬間、思わず、ぽちっとな、してしまいました。
神奈川に住んでいた頃は、箱根なんて目と鼻の先ですから、遠いと思うことはありませんでした。
けれど千葉の片田舎にいると、なんとなく遠い気がする。
それでも思い切って車を走らせてみると、途中寄り道しても2時間ちょっとで着いてしまいました。案外近いじゃない。
着いたのが8時頃でしたから、仲居さんは「すぐお食事の支度をしますね。そのあいだ、まず一風呂いかがですか?」とおっしゃる。えぇとつまり、邪魔だからお風呂にでも入っていろ、ということなんでしょうか(笑)。
外は少しだけ寒かったのですが、暗闇の中に灯りともる露天風呂に身体を沈めると、ぬるくもなく熱くもなく、の絶妙な湯加減で、思わず深いため息をついてしまいました。
食事を堪能して、また一風呂。部屋付きだと思い立ったら気軽に入れるのが嬉しいですね。長湯して少しのぼせそうでしたが、さらにまた寝る前と、翌朝起きて一風呂。もう、ここぞとばかりに入りまくってしまいました。
お風呂からはこれも部屋付きのお庭が見渡せて、綺麗にライトアップされていました。どちらかというと明るく照らされているので幽玄とまではいかないものの、お風呂に入って眺める木々は、癒し効果を倍増してくれます。
翌朝は、そのまま帰ってしまってはつまらないので、久々に箱根散策と決め込みました。
車をお宿において箱根湯本まで出て、箱根フリーパスを手に入れ、登山電車で強羅まで。さらにケーブルカーとロープウェイを乗り継いで大涌谷。
なつかしの温泉卵(黒たまご)を買おうと思ったら、5個で500円ばら売りなし、だそう。かつては2個入りだったと思うのですが、商魂たくましいですねぇ。こんなに沢山要らないので悩んでいたのですが、丁度目の前に、やはりお財布を出しながら悩んでいたカップルがいたので、2個原価でお譲りしました(笑)。残りなら食べられる(爆)。
ロープウェイで桃源台港まで降りて、海賊船に乗って元箱根まで。船長さんはしきりに双眼鏡で湖面をのぞいているのですが、その心配の種は小さなボート達。この寒空の中、スワンボートに乗っているカップルが少なくなかったのは意外でした。寒くないの? アツアツなのかぁ(笑)
おそばを食べて玉村豊男ライフアートミュージアムなどをのぞいていたら、あたりはすっかり夕暮れ。
バスでお宿に戻り、小田原で相模湾の海の幸のお寿司をいただいて帰路についたのでした。
このところずっと温泉に憧れていましたので、久々に堪能して満足です。食べるものも美味しかったし。
心残りはスパでマッサージしてもらい損ねたことなのですが、急に思い立ったにしては、充分楽しく、癒された小旅行でした。
年末の箱根路は、カップルと子連れの家族が半々くらい。たまに同性の友人グループも見かけましたが、考えてみれば紫陽花も紅葉もないこんな年末に、友人同士で来る場所ではないかもしれませんね。
暮れていく湖面を眺めながら、幾組かのカップルが手をつないで歩いていました。
そのシルエットは、ちょっと素敵でした。
つないだ手のぬくもりって、とても温かいですね。
たいせつなひとの体温を感じられて、心も温かくなります。
その手を離さないで。
哀しみのほとりで出会った、その温かい手を。
星や月や花や鳥や海や空よりも際だっていて、愛おしくて、たいせつなひと。
昨年は、素敵な時間をありがとうございました。
今年も皆様にとって、幸せな1年でありますように。
2008年12月23日
ホームにて
夕方の東京駅を訪れると、東海道線のオレンジと緑の列車の向こうに、青い寝台列車が止まっているのを、よく目にしました。
最長は東京から1日かけて走って、西鹿児島まで。大分周り・熊本周りの両側がありましたよね。
空色の汽車にあわせてブルートレインと呼ばれていましたが、確か語源は、ワゴン・リ社が走らせていた「ル・トラン・ブルー」という夜行列車から来ていたような記憶もあります。
飛行機や新幹線の発達で乗客数が減り、運転区間を短くしたり減便したりが続き、1つ、また1つと廃止されてきました。
来春のダイヤ改正では、「はやぶさ」と「富士」が廃止されて、これで東京駅から出るブルートレインはなくなるそうです。
そういえば、西に下る寝台列車に乗ったことはありませんでした。
急行「銀河」も、確か乗らなかったなぁ。
先日知人からメールが届いたときに知ったのですが、「出雲」も廃止されていたんですね。
大学に入ってまもなくのお正月、自宅でくつろいでいたら高校からの友人から電話がありました。「今日の出雲で帰るから、それまで会えない?」
当時彼女は島根の大学に入学していましたが、せっかくの帰省だと言うのにご両親と喧嘩して、1月1日に島根へ戻ると言う。
小田原の駅前はほとんどのお店が正月休みで、かろうじて見つけた喫茶店にもぐりこみ、出発までの時間を過ごしました。
駅のホームに滑り込んできた「出雲」に乗り込む彼女を見送ったら、「元気でね」と手を差し出された。あの時の握手の感触、今でも覚えています。
北に向かう寝台列車は、「ゆうづる」が最初でした。
おそらく、夜行寝台の初体験。
これが最後のチャンスかなぁ、と漠然と思いながら、受験で北海道に渡るときのことでした。
麦ちゃん(を知っている人はもう少ないのでしょうか)と同じく、寝台特急のゆうづる+青函連絡船で北海道に渡り、帰りは飛行機で「ゆうづる 舞う。縁起がいいじゃん」とげんを担いだのでした。そのおかげでその地を青春の住処とできたのですから、思い入れのある列車なのですが、残念ながらその後乗ることはありませんでした。
そういえばあの時の津軽海峡はとても時化ていて、緊張と疲れと揺れとで、青函連絡船の中で船酔いに苦しんだのも懐かしい思い出。
そうして住んだ北の大地から故郷へ戻る帰省は、いつも列車でした。
函館まで6時間だか8時間だかかけて出て、津軽海峡を青函連絡船で渡り、青森から急行「八甲田」。急行「津軽」というのもありましたね。
旭川を朝7時に出て、上野到着が翌朝7時。24時間かかりました。
大学の後半には、スカイメイトを使って飛行機で行き来したこともありました。
飛行機は確かに早くて便利なのですが、でも実は時間をかけて帰る、という作業は、帰省にはとても重要なのではないか、と思います。
故郷に帰る、という重さを実感するには、それなりの時間が必要なのでしょう。
恐らく自分を待っているであろう家族の顔を思い浮かべて、きっと集まるはずの懐かしい友人たちの顔を思い浮かべて、窓ガラスの向こうの暗闇に浮かぶ自分の顔を眺める。
単調に続くレールの継ぎ目の音を聞きながら、自分が向かう街まで、確かにレールが続いているんだなぁ、という不思議を感じました。
お国言葉の入り混じる車内。あるいは故郷への帰りびとではなく、故郷を離れる人たちなのかもしれません。お互いの事情なんてうかがい知ることもできませんが、向き合いの座席に座り、一言二言ことばをかわして、つかの間の時間を共有する、というのは、さざめきたつ自分の心を静めるのに必要でした。
廃れ行く寝台列車への想いは、飛行機ばかりを使う今となっては郷愁に過ぎないのかもしれませんが、いつも心の奥にしまわれている、とても大切な時間と思い出をもらったことへの感謝でもあるのかもしれません。
最長は東京から1日かけて走って、西鹿児島まで。大分周り・熊本周りの両側がありましたよね。
空色の汽車にあわせてブルートレインと呼ばれていましたが、確か語源は、ワゴン・リ社が走らせていた「ル・トラン・ブルー」という夜行列車から来ていたような記憶もあります。
飛行機や新幹線の発達で乗客数が減り、運転区間を短くしたり減便したりが続き、1つ、また1つと廃止されてきました。
来春のダイヤ改正では、「はやぶさ」と「富士」が廃止されて、これで東京駅から出るブルートレインはなくなるそうです。
そういえば、西に下る寝台列車に乗ったことはありませんでした。
急行「銀河」も、確か乗らなかったなぁ。
先日知人からメールが届いたときに知ったのですが、「出雲」も廃止されていたんですね。
大学に入ってまもなくのお正月、自宅でくつろいでいたら高校からの友人から電話がありました。「今日の出雲で帰るから、それまで会えない?」
当時彼女は島根の大学に入学していましたが、せっかくの帰省だと言うのにご両親と喧嘩して、1月1日に島根へ戻ると言う。
小田原の駅前はほとんどのお店が正月休みで、かろうじて見つけた喫茶店にもぐりこみ、出発までの時間を過ごしました。
駅のホームに滑り込んできた「出雲」に乗り込む彼女を見送ったら、「元気でね」と手を差し出された。あの時の握手の感触、今でも覚えています。
北に向かう寝台列車は、「ゆうづる」が最初でした。
おそらく、夜行寝台の初体験。
これが最後のチャンスかなぁ、と漠然と思いながら、受験で北海道に渡るときのことでした。
麦ちゃん(を知っている人はもう少ないのでしょうか)と同じく、寝台特急のゆうづる+青函連絡船で北海道に渡り、帰りは飛行機で「ゆうづる 舞う。縁起がいいじゃん」とげんを担いだのでした。そのおかげでその地を青春の住処とできたのですから、思い入れのある列車なのですが、残念ながらその後乗ることはありませんでした。
そういえばあの時の津軽海峡はとても時化ていて、緊張と疲れと揺れとで、青函連絡船の中で船酔いに苦しんだのも懐かしい思い出。
そうして住んだ北の大地から故郷へ戻る帰省は、いつも列車でした。
函館まで6時間だか8時間だかかけて出て、津軽海峡を青函連絡船で渡り、青森から急行「八甲田」。急行「津軽」というのもありましたね。
旭川を朝7時に出て、上野到着が翌朝7時。24時間かかりました。
大学の後半には、スカイメイトを使って飛行機で行き来したこともありました。
飛行機は確かに早くて便利なのですが、でも実は時間をかけて帰る、という作業は、帰省にはとても重要なのではないか、と思います。
故郷に帰る、という重さを実感するには、それなりの時間が必要なのでしょう。
恐らく自分を待っているであろう家族の顔を思い浮かべて、きっと集まるはずの懐かしい友人たちの顔を思い浮かべて、窓ガラスの向こうの暗闇に浮かぶ自分の顔を眺める。
単調に続くレールの継ぎ目の音を聞きながら、自分が向かう街まで、確かにレールが続いているんだなぁ、という不思議を感じました。
お国言葉の入り混じる車内。あるいは故郷への帰りびとではなく、故郷を離れる人たちなのかもしれません。お互いの事情なんてうかがい知ることもできませんが、向き合いの座席に座り、一言二言ことばをかわして、つかの間の時間を共有する、というのは、さざめきたつ自分の心を静めるのに必要でした。
廃れ行く寝台列車への想いは、飛行機ばかりを使う今となっては郷愁に過ぎないのかもしれませんが、いつも心の奥にしまわれている、とても大切な時間と思い出をもらったことへの感謝でもあるのかもしれません。
2008年12月09日
永遠にともに
少し寒いものの、穏やかに澄み渡った空。
晴れて良かったなぁ、と思うのは、まったくのエゴだとは分かっていますが、それでも雨よりは晴れの方が良いでしょう。
当直明け、急いで家に帰って支度をして、電車に飛び乗りました。
車内にも暖かな陽射しが差し込むのですが、気温だけは結構低かったようです。
目的のホテルは、研究会では何度となく訪れているのですが、もちろん泊まったことはないし、ここでは初体験なので、ある意味楽しみにしていました。
そうですね、予想以上に良かったなぁ、というのが感想でした。
過剰な演出はないし、司会者も、良くいる泣かせようモードの過剰絶叫型とは対極の穏やかなかただったし、食事も美味しかったし。
気になったのは、出席者はほとんどが職場関係者と親戚関係で、友人たちが極々少数だったことですが。確かに職場つながりですが、いいのか、それで?
と、ここまで書けば分かりますね。
この日曜日は、後輩君の結婚式でした。六本木のグランドハイアット。
そういえば、システム室関係の結婚式には出てますが、医者の結婚式は久しぶりでした。え〜と、つまり、僕のまわりは、あらかた結婚しちゃった、ということですか?(苦笑)
ウチの小児科に今年入局した期待の新人君が、研修医時代に知り合った看護師さんと華燭の典をあげました。
まぁ、ある意味職場結婚ですから、主賓も来賓も上司たちですし、総勢約90人の出席者の2/3は職場関係者でしたね。残りがいとこやおじ・おばの親戚関係で、友人は新郎・新婦合わせてほんの数人。
仕方がないのかなぁ、とは思うのですが、何となく不思議でした。
最近の結婚式では仲人を立てないのも当たり前になっているんですね。
ウチのボスは、前回の医局員結婚式の際に仲人を頼まれ、「きっともうすぐ、また使うから」とモーニングを新調しました。はい、何かの折に繰り返し、「いつになったら使えるんだろうね〜〜」といじめられるのですが、お仲人お願いしなかったら、やっぱり使えないわけか、と、今回の後輩君の結婚式を見て気付きました。
あ、つまり、仲人をするんだ、という意思表示だったんですか?>ボス
だったら、誰か良い人、紹介してくれたって良かったじゃん。
さて、その過剰演出はなく、ちょっと素敵だな、と思わせる結婚式ですが、独身者はなぜか、「高いのかなぁ」とか、「きっちり2時間半で終わるのね〜」とか、「引き出物はどう決めたんだ?」とか、まぁ、自分が結婚式挙げる際に参考にするためか(笑)、データ取りにかまびすしい。
あげく、なぜかこの種の式典はテンションがあがりますから、「次は誰だ?」だの、「彼氏がいないっ!」だのと、まぁこちらもにぎやか。
独身の看護師長さん2人は、「せんせっ! わたしどぉ?」って、なぜに突然(笑)。
後輩君はまだ20代で、医者の結婚としては割と早い方になります。
僕の主観ですが、医者は大学を卒業してすぐ、2〜3年くらいのあいだに、大学時代から付き合っていた彼女と結婚するか、あとはもうのんびりと30を超えて、仕事や研究が一段落してから結婚する、というパターンのどちらかが一般的な気がします。
35を超えると焦りだすんですが、40超えるとあきらめる(爆)。
特に女性陣は35を超えないように、かなり焦っている気がします。
若い頃の結婚は勢いなのかなぁ、と思うのですが、それではちょっと大人婚モードの2人が結婚するのは、何がきっかけなんでしょう。
はやりの婚活にしても、出逢いは少なくないはずです。
この結婚式のあと、友人とこんな話をしました。
ある芸能番組。独身の芸能人が恋人募集をします。応募をしてきた男性が、順番にスタジオに登場します。芸能人の彼女は、この人なら良い、と思ったら ○ をあげますが、そうしたら以後の男性には会うことなくゲーム終了。このゲームのキモは、応募してきた男性が何人いるのか、彼女は全く知らないで、○ と ×の判定を下さなくてはならないことです。
×××…と続いて、もしかしたら、もう次は無いかもしれない。
でもここで ○ をあげても、あとにもっと良い人が沢山いるかもしれない。葛藤するわけですね。
ゲーム理論で最適戦略を検討できそうですが(あとで mixi のコミュで聞いてみよっと 笑)、実は僕らの出逢いって、これと同じなのかなぁ、と思うのです。
良い人は沢山いるかもしれない。でももう残りわずかなのかもしれない。これから出逢う人は、これまでに出逢った人ほど良くないかもしれない。でももしかしたら最高の1人と出逢えるかもしれない。
それでは、どこで、どのような理由で、○ をあげるのでしょうか。
共に歩き、共に笑い、共に迷い、共に泣いても良いな、と思う人に出会えたら、とりあえず ○ で良いかな、と思うのですが、意外や男性にも、女性が言う「白馬の王子様」のお姫様版の願望があるのかな、とも考えたりします。
麻布十番の商店街を寒風に吹かれて歩きながら、自分の過去と未来と、一番大切な「今」に思いをめぐらせました。
とりあえず、メール送ろっと(笑)。
晴れて良かったなぁ、と思うのは、まったくのエゴだとは分かっていますが、それでも雨よりは晴れの方が良いでしょう。
当直明け、急いで家に帰って支度をして、電車に飛び乗りました。
車内にも暖かな陽射しが差し込むのですが、気温だけは結構低かったようです。
目的のホテルは、研究会では何度となく訪れているのですが、もちろん泊まったことはないし、ここでは初体験なので、ある意味楽しみにしていました。
そうですね、予想以上に良かったなぁ、というのが感想でした。
過剰な演出はないし、司会者も、良くいる泣かせようモードの過剰絶叫型とは対極の穏やかなかただったし、食事も美味しかったし。
気になったのは、出席者はほとんどが職場関係者と親戚関係で、友人たちが極々少数だったことですが。確かに職場つながりですが、いいのか、それで?
と、ここまで書けば分かりますね。
この日曜日は、後輩君の結婚式でした。六本木のグランドハイアット。
そういえば、システム室関係の結婚式には出てますが、医者の結婚式は久しぶりでした。え〜と、つまり、僕のまわりは、あらかた結婚しちゃった、ということですか?(苦笑)
ウチの小児科に今年入局した期待の新人君が、研修医時代に知り合った看護師さんと華燭の典をあげました。
まぁ、ある意味職場結婚ですから、主賓も来賓も上司たちですし、総勢約90人の出席者の2/3は職場関係者でしたね。残りがいとこやおじ・おばの親戚関係で、友人は新郎・新婦合わせてほんの数人。
仕方がないのかなぁ、とは思うのですが、何となく不思議でした。
最近の結婚式では仲人を立てないのも当たり前になっているんですね。
ウチのボスは、前回の医局員結婚式の際に仲人を頼まれ、「きっともうすぐ、また使うから」とモーニングを新調しました。はい、何かの折に繰り返し、「いつになったら使えるんだろうね〜〜」といじめられるのですが、お仲人お願いしなかったら、やっぱり使えないわけか、と、今回の後輩君の結婚式を見て気付きました。
あ、つまり、仲人をするんだ、という意思表示だったんですか?>ボス
だったら、誰か良い人、紹介してくれたって良かったじゃん。
さて、その過剰演出はなく、ちょっと素敵だな、と思わせる結婚式ですが、独身者はなぜか、「高いのかなぁ」とか、「きっちり2時間半で終わるのね〜」とか、「引き出物はどう決めたんだ?」とか、まぁ、自分が結婚式挙げる際に参考にするためか(笑)、データ取りにかまびすしい。
あげく、なぜかこの種の式典はテンションがあがりますから、「次は誰だ?」だの、「彼氏がいないっ!」だのと、まぁこちらもにぎやか。
独身の看護師長さん2人は、「せんせっ! わたしどぉ?」って、なぜに突然(笑)。
後輩君はまだ20代で、医者の結婚としては割と早い方になります。
僕の主観ですが、医者は大学を卒業してすぐ、2〜3年くらいのあいだに、大学時代から付き合っていた彼女と結婚するか、あとはもうのんびりと30を超えて、仕事や研究が一段落してから結婚する、というパターンのどちらかが一般的な気がします。
35を超えると焦りだすんですが、40超えるとあきらめる(爆)。
特に女性陣は35を超えないように、かなり焦っている気がします。
若い頃の結婚は勢いなのかなぁ、と思うのですが、それではちょっと大人婚モードの2人が結婚するのは、何がきっかけなんでしょう。
はやりの婚活にしても、出逢いは少なくないはずです。
この結婚式のあと、友人とこんな話をしました。
ある芸能番組。独身の芸能人が恋人募集をします。応募をしてきた男性が、順番にスタジオに登場します。芸能人の彼女は、この人なら良い、と思ったら ○ をあげますが、そうしたら以後の男性には会うことなくゲーム終了。このゲームのキモは、応募してきた男性が何人いるのか、彼女は全く知らないで、○ と ×の判定を下さなくてはならないことです。
×××…と続いて、もしかしたら、もう次は無いかもしれない。
でもここで ○ をあげても、あとにもっと良い人が沢山いるかもしれない。葛藤するわけですね。
ゲーム理論で最適戦略を検討できそうですが(あとで mixi のコミュで聞いてみよっと 笑)、実は僕らの出逢いって、これと同じなのかなぁ、と思うのです。
良い人は沢山いるかもしれない。でももう残りわずかなのかもしれない。これから出逢う人は、これまでに出逢った人ほど良くないかもしれない。でももしかしたら最高の1人と出逢えるかもしれない。
それでは、どこで、どのような理由で、○ をあげるのでしょうか。
共に歩き、共に笑い、共に迷い、共に泣いても良いな、と思う人に出会えたら、とりあえず ○ で良いかな、と思うのですが、意外や男性にも、女性が言う「白馬の王子様」のお姫様版の願望があるのかな、とも考えたりします。
麻布十番の商店街を寒風に吹かれて歩きながら、自分の過去と未来と、一番大切な「今」に思いをめぐらせました。
とりあえず、メール送ろっと(笑)。
2008年11月17日
Come Fly with Me
映画館で映画を見た最後はいつだろう、と考えてみると、もしかすると「紅の豚」を見たのがそれかもしれない。
研修医仲間の、仲の良い、と言うか、とても大切だった友人と新宿の映画館でした。子供たちが飛行機の中を走り回るのを見て、「病棟とおんなじ〜!」と2人して爆笑したのを良く覚えています。
エンディングテーマの「時には昔の話を」という歌も素敵でしたが、「さくらんぼの実る頃」というシャンソンは大好きな歌で、大学時代、「街の友人達」の1人であるシャンソン歌手に、良く歌ってもらいました。
どちらの歌も沢山の思い出があって、いま耳にすると、とても切なくなります。
さて、それではその後映画を見ていないのか、と言われたらそんなことは決してないのですが、大抵は飛行機の機内か、DVDを借りて見ていることになります。
それこそ友人たちの話題に上っていた「Sex and the City」も、バンコク行きの機内では「先月の映画」で見られなかったものの、成田に戻る便では期待通りプログラムにあってしっかり見ましたし(747で良かった。しかもアップグレード?でファーストクラスの席でした 嬉)、話題の新作の多くは、このように機内で見ています。
見損ねたらDVDですが、これとて今は郵便で配達してくれますから、家でパソコンを叩くだけ、と便利な時代になったものです。
そんな中、久々に機内で見るまで待てない、DVDになるまで待てない、と思わせる映画に出会いました。
試写会行きまくりの友人は一足先に見て、「突っ込みどころあるけど、面白いよ〜」とその日記に書いていましたから、やっぱりこれは映画館で見るかなぁ、と思わずにはいられない(笑)。
まぁ、どうせヲタですよ(苦笑)。でも「乗って出かける」のが好きなのであって、その他はそれほど詳しくないんですよね(ほんとか?)
というわけで、公開初日に見てきました、「ハッピーフライト」。
初日だというのに、昼過ぎの上映はそれほど混雑していなくて、多くの人にはやはり「レッドクリフ」の方が良いのでしょうか。
そうですね、確かに友人が言うように、「あら?」という場面もありますが、それがまた面白かったりしますし、少なくともTVドラマの「Good Luck!!」よりは、はるかにきちんと作られています。
コーパイくんが主役、とも思えるのですが、むしろ様々なエピソードがちりばめられた群像劇で、誰もが本当にいそうで楽しい。
ついでに、少しだけヲタが入っていると、さらに色々と分かって楽しい。
あちこちの場面で大笑いしましたが、後半はぐいぐいと引き込まれるところもあって、堪能しました。コメディーなのかな、と思ったのですが、もしかしたらライト・パニック映画だったんでしょうか?(爆)
鑑賞券をあてた友人もいるようですが、楽しめますよ、絶対に。
でも、もしかしたら「類とも」と一緒に見ると、さらに楽しさが倍増するかもしれません。
みんなで鑑賞会しますか?(笑)
研修医仲間の、仲の良い、と言うか、とても大切だった友人と新宿の映画館でした。子供たちが飛行機の中を走り回るのを見て、「病棟とおんなじ〜!」と2人して爆笑したのを良く覚えています。
エンディングテーマの「時には昔の話を」という歌も素敵でしたが、「さくらんぼの実る頃」というシャンソンは大好きな歌で、大学時代、「街の友人達」の1人であるシャンソン歌手に、良く歌ってもらいました。
どちらの歌も沢山の思い出があって、いま耳にすると、とても切なくなります。
さて、それではその後映画を見ていないのか、と言われたらそんなことは決してないのですが、大抵は飛行機の機内か、DVDを借りて見ていることになります。
それこそ友人たちの話題に上っていた「Sex and the City」も、バンコク行きの機内では「先月の映画」で見られなかったものの、成田に戻る便では期待通りプログラムにあってしっかり見ましたし(747で良かった。しかもアップグレード?でファーストクラスの席でした 嬉)、話題の新作の多くは、このように機内で見ています。
見損ねたらDVDですが、これとて今は郵便で配達してくれますから、家でパソコンを叩くだけ、と便利な時代になったものです。
そんな中、久々に機内で見るまで待てない、DVDになるまで待てない、と思わせる映画に出会いました。
試写会行きまくりの友人は一足先に見て、「突っ込みどころあるけど、面白いよ〜」とその日記に書いていましたから、やっぱりこれは映画館で見るかなぁ、と思わずにはいられない(笑)。
まぁ、どうせヲタですよ(苦笑)。でも「乗って出かける」のが好きなのであって、その他はそれほど詳しくないんですよね(ほんとか?)
というわけで、公開初日に見てきました、「ハッピーフライト」。
初日だというのに、昼過ぎの上映はそれほど混雑していなくて、多くの人にはやはり「レッドクリフ」の方が良いのでしょうか。
そうですね、確かに友人が言うように、「あら?」という場面もありますが、それがまた面白かったりしますし、少なくともTVドラマの「Good Luck!!」よりは、はるかにきちんと作られています。
コーパイくんが主役、とも思えるのですが、むしろ様々なエピソードがちりばめられた群像劇で、誰もが本当にいそうで楽しい。
ついでに、少しだけヲタが入っていると、さらに色々と分かって楽しい。
あちこちの場面で大笑いしましたが、後半はぐいぐいと引き込まれるところもあって、堪能しました。コメディーなのかな、と思ったのですが、もしかしたらライト・パニック映画だったんでしょうか?(爆)
鑑賞券をあてた友人もいるようですが、楽しめますよ、絶対に。
でも、もしかしたら「類とも」と一緒に見ると、さらに楽しさが倍増するかもしれません。
みんなで鑑賞会しますか?(笑)
